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上の総入れ歯は「どこまで」覆えばいいのか?

上の総入れ歯は「どこまで」覆えばいいのか?


 ノドの奥で働く“滑車の筋肉”と、

入れ歯の後ろのフチの話

こんにちは。わかな歯科の若菜です。

今回は少し専門的な、**総入れ歯(総義歯)の設計**のお話です。テーマは「上の入れ歯の“後ろのフチ”をどこで止めるか」。

上の総入れ歯は、口の天井(口蓋)をぴったり覆い、吸盤のような力で吸い付いています。ですから「なるべく広く覆ったほうがよく吸い付くのでは?」と思われるかもしれません。ところが実際には、**後ろへ伸ばしすぎた入れ歯は、かえって外れやすく、痛く、オエッとなりやすい**のです。

歯科大学では「ここより後ろに伸ばしてはいけない」と教わる境界線があります。今日は、その理由を**筋肉の動き**から解き明かしてみます。

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## 1. 口の天井は「硬い部分」と「動く部分」でできている

舌先で上あごをなぞってみてください。前のほうは硬く、奥へ行くと急に柔らかくなります。

- **硬口蓋(こうこうがい)**:骨の上に粘膜がのった、動かない部分
- **軟口蓋(なんこうがい)**:骨がなく、筋肉でできた“動く”部分。のどちんこ(口蓋垂)もここにぶら下がっています

軟口蓋は、飲み込むときや「アー」と声を出すときに持ち上がり、鼻への通り道にフタをします。水を飲んでも鼻から出てこないのは、この働きのおかげです。

この「動かない部分」と「動く部分」の境目を、歯科では**振動線(アーライン)**と呼びます。患者さんに「アー」と声を出してもらうと、粘膜が動き始める線が見えるので、この名前がついています。

## 2. 入れ歯の「後ろの境界」を決める2つの目印

上の総入れ歯の後ろのフチは、おおまかに次の線で決まります。

- **左右の端:ハミュラーノッチ(翼突上顎切痕)**
  上あごの一番奥にある骨のふくらみ(上顎結節)と、そのさらに奥にある小さな骨のトゲ(**翼突鈎:よくとつこう**)との間の、小さなくぼみです。
- **真ん中:振動線(アーライン)**
  硬口蓋と軟口蓋の境目。目安として、粘膜に見える小さな2つの穴(**口蓋小窩**)が使われます。研究では、口蓋小窩は振動線のすぐ近くに位置することが報告されています[4]。

左右のハミュラーノッチから、真ん中の振動線をなぞって結ぶ――これが**上の総入れ歯の後縁の基本ライン**です。入れ歯はこのくぼみの中までしっかり入り込み、それより後ろの“動くエリア”には出ていかない。これが原則です。

## 3. 主役は「口蓋帆張筋(こうがいはんちょうきん)」という変わった筋肉

この境界のすぐ奥で働いているのが、**口蓋帆張筋**という小さな筋肉です。この筋肉には、ふつうの筋肉にはない2つの特徴があります。

### ① 骨の“滑車”で向きを変えるロープのような構造

口蓋帆張筋は、頭の骨の奥から下へ降りてきて、先ほど出てきた**翼突鈎(骨のフック)**に引っかかり、そこでクルッと向きを内側へ変えます。ちょうど**井戸の滑車にかけたロープ**のようなしくみです。

向きを変えた先は、薄く平たい膜のような腱(**口蓋腱膜**)となって左右から広がり、軟口蓋の前のほうを形づくります。解剖学的研究でも、口蓋腱膜は左右の口蓋帆張筋の腱が広がったものであることが確認されています[3]。

この筋肉が縮むと、ロープが引かれるように口蓋腱膜がピンと張り、軟口蓋の前の部分が**緊張して形を変えます**。

### ② 実は「噛む筋肉」の親戚

のどや軟口蓋の筋肉の多くは、迷走神経などの“のど系”の神経で動いています。ところが口蓋帆張筋だけは、**三叉神経(下顎神経)**という、**食べ物を噛む筋肉(咀嚼筋)を動かす神経**で動いています[5]。

さらに胎児の発生をたどると、口蓋帆張筋は咀嚼筋の一つ(内側翼突筋)と**同じ細胞のかたまりから生まれる**ことがわかっており、研究者は「もともとは咀嚼筋の仲間で、のちに軟口蓋と耳管の動きに特化した筋肉」と考えています[6]。

> **ちょっと雑学**
> 口蓋帆張筋は、鼻の奥と耳をつなぐ「耳管」を開く役目も持っています。飛行機で耳がツーンとしたとき、あくびをしたりツバを飲み込んだりすると治るのは、この筋肉が耳管を開いて気圧を調整してくれるからです。

また、この筋肉には、筋肉の伸び縮みを感知するセンサー(**筋紡錘**)が、軟口蓋周辺の筋肉の中で特に多く見つかっています[7]。周囲の状況を感じ取りながら細かく調整する、繊細な筋肉だと言えます。

## 4. では、後ろへ伸ばしすぎた入れ歯に何が起こるのか?

ここまでくると、理由が見えてきます。

ハミュラーノッチと振動線より後ろは、**飲み込むたび、話すたびに、筋肉によって形が変わる“動くステージ”**です。そこに硬いプラスチックの入れ歯がかぶさっていると――

1. **飲み込むたびに入れ歯が押される**
   軟口蓋が持ち上がり、口蓋腱膜がピンと張るたびに、その上にのっている入れ歯のフチが押し動かされます。
2. **吸着が一瞬で破れる**
   上の総入れ歯は、フチがぐるりと粘膜に密着していること(**辺縁封鎖**)で吸い付いています。フチが少しでも浮くと、すき間から空気が入り込み、吸着力が失われて**入れ歯がストンと落ちてきます**。
3. **大きく口を開けたときにも外れる・痛む**
   翼突鈎からは、口を開けると引っ張られるスジ(**翼突下顎ヒダ**)が下あごへ伸びています。入れ歯がハミュラーノッチを越えてこのスジの上にのると、あくびや大口を開けたときに入れ歯が押し出されたり、粘膜に傷(**床ずれ**)ができたりします。
4. **「オエッ」となりやすい**
   軟口蓋は吐き気の反射(嘔吐反射)が起こりやすい場所です。ここに入れ歯が触れ続けると、入れ歯そのものが苦手になってしまう方もいます。

> **ひとことで言えば**
> 入れ歯の奥のフチより後ろは、筋肉が働く「生きた舞台」です。そこに動かないフチを置くと、**飲み込むたびに自分の筋肉で自分の入れ歯を押し外してしまう**ことになるのです。

## 5. 逆に「短すぎ」てもいけない ―― ポストダムという工夫

では、うんと手前で止めればよいかというと、そうでもありません。短すぎると、今度は**後ろのフチに封鎖がなくなり**、やはり空気が入って外れやすくなります。

そこで歯科医師は、振動線のすぐ手前、**押すと少し沈む柔らかい粘膜の帯**に、入れ歯のフチをわずかに食い込ませる工夫をします。これを**ポストダム(後方口蓋封鎖)**と呼びます[2]。

ちなみに、骨のフチ(口蓋骨の後ろの端)と「押すと沈む部分・沈まない部分」の境目がほぼ一致することも、解剖学的に確かめられています[3]。

**「動く部分にはかぶせない。でも、動かない部分のギリギリまではしっかり使い、柔らかい粘膜で封をする」**――このミリ単位のさじ加減が、外れにくい総入れ歯の大切なポイントです。

## 6. まとめ

- 上の総入れ歯の後ろのフチは、**左右のハミュラーノッチと、真ん中の振動線(アーライン)**を結ぶラインが基本。
- その奥では、**口蓋帆張筋**が骨の滑車(翼突鈎)を使って口蓋腱膜をピンと張り、飲み込みや発音のたびに軟口蓋の形を変えている。
- この“動くエリア”に入れ歯がかかると、**飲み込むたびに入れ歯が押されて吸着が破れ、外れる・痛む・オエッとなる**原因になる。
- 一方で短すぎても外れるため、**振動線の手前で、ポストダムによって封をする**ことが大切。

口腔の動きを解剖・生理・機能から考える重要性は、口腔リハビリテーションの第一人者である**舘村卓先生(大阪大学)**が、著書の中で一貫して説いておられることでもあります[1]。入れ歯は「型を取って作る道具」であると同時に、**飲み込む・話すという筋肉の動きと共存する装置**なのです。

「上の入れ歯がすぐ落ちてくる」「飲み込むときに外れる」「奥が当たってオエッとなる」――そんなお悩みは、入れ歯の後ろのフチが原因のこともあります。どうぞお気軽にご相談ください。

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### 参考文献

1. 舘村 卓:解剖・生理・機能で考える 摂食嚥下障害・構音障害のための口腔内装置――PAP,CM床,PLP,スピーチバルブ,口唇プレートの適応・作製のポイント.医歯薬出版,2025.(ISBN 978-4-263-44768-0)
2. The Academy of Prosthodontics: The Glossary of Prosthodontic Terms 2023: Tenth Edition. J Prosthet Dent. 2023;130(4 Suppl 1):e7–e126. https://doi.org/10.1016/j.prosdent.2023.03.002
3. Iwanaga J, Kido J, Lipski M, et al.: Anatomical study of the palatine aponeurosis: application to posterior palatal seal of the complete maxillary denture. Surg Radiol Anat. 2018;40(2):179–183. https://doi.org/10.1007/s00276-017-1911-2
4. Kyung KY, Kim KD, Jung BY: The study of anatomic structures in establishing the posterior seal area for maxillary complete dentures. J Prosthet Dent. 2014;112(3):494–500. https://doi.org/10.1016/j.prosdent.2014.01.002
5. Shankland WE: The trigeminal nerve. Part IV: the mandibular division. Cranio. 2001;19(3):153–161. https://doi.org/10.1080/08869634.2001.11746164
6. De la Cuadra Blanco C, Peces Peña MD, Rodríguez-Vázquez JF, et al.: Development of the human tensor veli palatini: specimens measuring 13.6–137 mm greatest length; weeks 6–16 of development. Cells Tissues Organs. 2011;195(5):392–399. https://doi.org/10.1159/000329253
7. Kuehn DP, Templeton PJ, Maynard JA: Muscle spindles in the velopharyngeal musculature of humans. J Speech Hear Res. 1990;33(3):488–493. https://doi.org/10.1044/jshr.3303.488

**推奨文献(本文では引用していませんが、軟口蓋の筋活動を理解する古典的研究)**
- Fritzell B: The velopharyngeal muscles in speech. An electromyographic and cineradiographic study. Acta Otolaryngol Suppl. 1969;250:1–81.

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