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わずか8ミリの貝が運んだ病 ――山梨・杉浦醫院で学んだ「日本住血吸虫症」

わずか8ミリの貝が運んだ病

山梨・杉浦醫院で学んだ「日本住血吸虫症」

田んぼの水に足を入れる。それだけで、命にかかわる病気にかかることがある。

かつて日本には、そんな感染症がありました。**日本住血吸虫症(にほんじゅうけつきゅうちゅうしょう)**です。

先日、この病気と闘った医師の記念館、山梨県昭和町の「昭和町風土伝承館 杉浦醫院」を訪ねました。展示で知った、小さな貝と寄生虫、そして人々の百年を超える闘いの物語をご紹介します。[2]

400年続いた「原因不明の病」

杉浦醫院の庭には、大きな「地方病流行終息の碑」が立っています。その碑文によると、この病気は約400年も前から山梨で猛威を振るっていたといわれます。

流行地は、釜無川・荒川・笛吹川の流域。甲府盆地一帯の25市町村、約2万ヘクタールに及びました。東京ドームに換算すると、およそ4,000個分以上の広さです。

山梨では、おなかが異様にふくらむ姿から「はらっぱり」「腹満(ちょうまん)」とも呼ばれていました。手足はやせ細るのに、おなかだけが大きくなる。やがて吐血や下血を繰り返し、命を落とす。患者さんの8割近くが山梨県内に集中していたため、「地方病」という名前が広まりました。

犯人は「小さな虫」と「小さな貝」のコンビ

この病気を起こすのは、「日本住血吸虫」という寄生虫です。成虫の長さは1〜2センチほど。ただし、この虫は単独では一生を終えられません。途中で、ある巻き貝の体を借りる必要があります。

その貝が、ミヤイリガイです。全長は約8ミリ。米粒2〜3個分ほどの小さな巻き貝です。広島の流行地「片山」にちなんで、「カタヤマガイ」とも呼ばれます。

館内の「日本住血吸虫の生活史」という図には、虫が姿を変えながら人と貝の間を行き来する様子が描かれていました。図の数字をもとに、その旅をたどってみます。

① 卵として外へ
卵の大きさは約0.09ミリ。髪の毛の太さほどです。感染した人や動物の便とともに外に出て、きれいな水に入るとすぐにかえります。

② 泳いで貝を探す
かえった幼虫(ミラシジウム)の寿命は、わずか24時間ほど。その間に水中でミヤイリガイを見つけて入り込みます。

③ 貝の中で数百倍に
貝の中で3〜5か月かけて育ちます。1匹の幼虫から、数百匹もの次の幼虫(セルカリア)が生まれます。

④ 人の皮膚へ
セルカリアは体長約0.3ミリ。尾を使って水中を活発に泳ぎ、約72時間のうちに、水に入った人や動物の皮膚から侵入します。[1]

1匹が数百匹に増える。この「増幅装置」の役割を果たしていたのが、ミヤイリガイでした。

図には人だけでなく、犬や牛、野ネズミも描かれています。特に、田畑で働く牛(役牛)や犬、野ネズミの感染率が高かったそうです。人を治療しても、動物が卵をまき続ければ感染は終わりません。ここに、この病気の手ごわさがありました。

そして感染の舞台は、田んぼや用水路。農家の人々にとっては毎日の仕事場です。「水に入らなければいい」とは言えない、暮らしと切り離せない病気でした。

おなかがふくらむ本当の理由

皮膚から入った幼虫は血管に入り、やがて腸から肝臓へ血液を運ぶ「門脈(もんみゃく)」という血管にすみつきます。そこでオスとメスがペアになり、卵を産み続けます。[1]

実は、病気の主役は虫そのものではありません。卵です。

卵の一部は血液に乗って肝臓に流れ着き、そこで引っかかります。体は卵を異物として攻撃し、まわりに炎症が起こります。これが何年も続くと、肝臓は少しずつ硬くなっていきます(線維化)。[1]

肝臓が硬くなると、腸から肝臓へ向かう血液がせき止められ、血管の中の圧力が上がります。行き場を失った水分がおなかにたまるのが「腹水」です。また、食道などの血管が太く膨らみ、破れて吐血を起こすこともありました。[1]

「はらっぱり」の正体は、肝臓に積もった無数の小さな卵だったのです。

謎が解けた日――1904年と1913年

長く原因不明だったこの病気の正体は、20世紀に入って明らかになりました。

1904年、岡山医学専門学校の桂田富士郎らが原因の寄生虫を発見し、「日本住血吸虫」と名づけました。[3]

しかし、虫がどこから人の体に入るのかは、まだ謎でした。1913年、九州帝国大学の宮入慶之助と鈴木稔が、ついに中間宿主となる巻き貝を突き止めます。宮入の名をとって、この貝は「ミヤイリガイ」と名づけられました。[4][5]

杉浦醫院の8代目、杉浦健造が唱えた仮説も、この発見につながったと伝えられています。

浮世絵師が描いた「予防の教科書」

しくみがわかっても、それを人々に伝えなければ予防はできません。

館内には、大正6年(1917年)に山梨で発行された予防啓発の冊子『俺(わし)は地方病博士だ』が展示されていました。挿絵を描いたのは、山梨出身で「最後の浮世絵師」とも呼ばれた中澤年章です。

初版には、裸の男性のおなかに虫と卵の袋が描かれた、かなり強烈な挿絵がありました。ところがこの絵は、わずか1か月後の再版で、穏やかな田園風景に差し替えられています。展示の解説では、「グロテスクだ」といった声や教育上の配慮があったのではないか、と推測されていました。

再版では、川の中でミヤイリガイを採る場面も描き直されています。ミヤイリガイは流れる川の中ではなく、水路のふちや土手など湿った場所にすむためです。正確に伝えようとした、当時の人々の工夫が見えてきます。

貝との長い闘い

杉浦健造は、ホタルやアヒル、ザリガニなど、貝の天敵を使った駆除の先頭に立ちました。

跡を継いだ息子の三郎は、治療法と予防法の確立に努め、多くの命を救いました。アメリカの医師や研究者が治療法を学びに訪れたほどで、「地方病博士」と呼ばれました。[現地資料][11]

その後も薬剤による貝の駆除が続き、さらに土の用水路をコンクリートに変えて、貝がすめない環境がつくられていきました。[10]

かつての治療薬は副作用が強いものでしたが、現在は「プラジカンテル」という飲み薬で治療できるようになっています。[1]

115年の願いが叶った日

碑文によると、山梨の地方病対策は明治14年(1881年)に始まります。春日居村(現・笛吹市)の村の代表が、県令(今の知事にあたる)の藤村紫朗に、おなかがふくれる病への対策を願い出た「御指揮願(おさしずねがい)」がその出発点でした。

そして平成8年(1996年)2月19日、山梨県は「流行終息宣言」を出します。最初の願いから、実に115年。[7]

碑文には、この終息が多くの先人たちの献身と、「血の滲むような努力と研鑽」によって成し遂げられたことが刻まれています。碑は2002年、県と流行地の市町村などによって建てられました。

追われる側から、守られる側へ

ここで、意外な後日談があります。

かつて駆除の対象だったミヤイリガイは、今では生息地が山梨県と千葉県に限られ、「絶滅危惧Ⅰ類」に指定されています。[現地資料]

千葉で開業している私にとって、身近な県の名前が展示に出てきたことは驚きでした。

一方、世界ではこの病気はまだ終わっていません。住血吸虫症は、マラリア、フィラリア症と並ぶ「世界三大寄生虫病」の一つです。日本住血吸虫症も、中国やフィリピン、インドネシアの一部に今も残っています。[1][現地資料]

よくある疑問

Q. ミヤイリガイに触ると感染しますか?
いいえ。病気を起こすのは、寄生虫に感染した貝から出てくる幼虫です。貝そのものが人に病気をうつすわけではありません。[1][6]

Q. 千葉にも貝がいるなら、危なくないですか?
貝がいても、日本住血吸虫を持っていなければ感染は起こりません。日本では流行はすでに終息しています。ただし山梨では、念のため貝の調査などの監視が今も続けられています。[6][現地資料]

Q. 海外旅行では注意が必要ですか?
流行地域では、川や湖、水田などの淡水に素肌で入らないことが大切です。帰国後に発熱などがあれば、渡航先を伝えて医療機関を受診してください。[1]

かつて勤めた大学とのつながり

私は以前、山梨医科大学(現在の山梨大学医学部)に短期間勤務していました。

大学の消化器内科の資料によると、肝臓病学の権威である鈴木宏先生のもとで第一内科が発足しました。日本住血吸虫症の流行地であり、ウイルス性の肝臓病も多かった山梨県の、肝疾患診療の拠点として育てられたそうです。[8]

なお、日本住血吸虫症による肝臓の障害と、肝炎ウイルスによる肝炎は、原因の異なる別の病気です。[1]

歯科医師として

肝臓の働きが大きく低下すると、血が止まりにくくなることがあります。そのため歯科でも、抜歯などの処置の前には、肝臓の病気の有無やお飲みのお薬を確認しています。肝臓の病気を指摘されたことがある方は、受診の際にお知らせください。

水、貝、牛、犬、そして人。日本住血吸虫症は、暮らしのすべてとつながった病気でした。健康を守るには、体だけでなく暮らしや地域にも目を向けることが大切なのだと、あらためて教えられました。

おわりに

帰り道は事故渋滞に巻き込まれ、思いのほか疲れました。それでも、その疲れを上回る価値のある訪問でした。

今では「昔の病気」として語られる日本住血吸虫症。けれど、それが昔の病気になったのは、115年にわたり、あきらめずに闘い続けた人々がいたからです。

2026年は、流行終息宣言から30年。静かな庭に立つ石碑の前で、そのことを忘れずにいたいと思いました。

参考文献・資料

  1. 国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト「住血吸虫症」(IDWR 2006年第41号掲載)※一部に古い情報を含む旨の注記あり
    https://id-info.jihs.go.jp/infectious-diseases/schistosomiasis/detail/index.html
  2. 昭和町「昭和町風土伝承館 杉浦醫院」
    https://www.town.showa.yamanashi.jp/soshiki/17/14315.html
  3. 山梨県『ふれあい』特集号 vol.38、19ページ
    https://www.pref.yamanashi.jp/ebook/fureai/vol38_2/pageindices/index19.html
  4. 日本医史学会「宮入慶之助――日本住血吸虫中間宿主の発見」
    http://jshm.or.jp/journal/55-2/153.pdf
  5. 宮入慶之助記念館「住血吸虫とミヤイリガイ」
    https://miyairikinenkan.com/miyairigaitowa/jyuketsukixyuucyu_miyairigai/
  6. 宮入慶之助記念館「甲府盆地とミヤイリガイ」
    https://miyairikinenkan.com/seiatsu/kofubonchi/
  7. 山梨県立博物館 シンボル展「『もう大丈夫!』から30年―地方病流行終息宣言30周年―」
    http://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_tenjiannai_symbol_051.html
  8. 山梨大学医学部 消化器内科「教室の歴史」
    https://www.ghyamanashi.com/history
  9. 山梨大学医学部「歴史・沿革」
    https://www.med.yamanashi.ac.jp/igakubu-3/enkaku
  10. 科学映像館「日本住血吸虫」
    https://www.kagakueizo.org/movie/medical/355/
  11. やまなし観光推進機構「昭和町 風土伝承館 杉浦醫院」
    https://www.yamanashi-kankou.jp/special/lg/sugiuraiin.html

現地資料:昭和町風土伝承館 杉浦醫院 施設案内パンフレット、館内展示(山梨県作成「日本住血吸虫の生活史」、「中間宿主ミヤイリガイ」解説、「浮世絵師・中澤年章の挿絵」解説ほか)、「地方病流行終息の碑」および碑文(平成14年建立)(筆者見学時に入手・撮影)

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