「歯医者さんは治療だけしてくれればいい」――その考えが、実は一番危険かもしれません
# 「歯医者さんは治療だけしてくれればいい」――その考えが、実は一番危険かもしれません
訪問診療をしていると、ご本人やご家族からこんな声をいただくことがあります。
> 「痛いところだけ診てもらえれば十分です」
> 「歯磨きは看護師さんや介護士さんに任せているから大丈夫」
> 「感染症になったら、そのとき抗生物質をもらえばいい」
お気持ちはよく分かります。ですが、私は歯科医師であると同時に、院内感染対策の専門資格である**インフェクションコントロールドクター(ICD)**として感染症対策にも関わっている立場から、今日はあえて厳しいことをお伝えしたいと思います。
**「感染症になってから薬で治す」という考え方は、これからの時代、通用しなくなっていきます。**
## 「歯磨き1日3回」で、肺炎が43%減った
2026年9月、広島大学病院からある研究結果が発表されました。1週間以上入院していた20歳以上の患者さん、約5,000人を対象に、次のような取り組みを行ったものです。
- 歯科医師・歯科衛生士による個別の口腔ケアアドバイス
- 歯ブラシ・洗口液(マウスウォッシュ)の配布
- **1日3回の歯磨き+マウスウォッシュ**を、患者さん自身に習慣づけてもらう
特別な薬も器具も使っていません。それだけで、前年の同時期と比べて、
- **肺炎:43%減少**
- **菌血症(血液に細菌が入り込む状態):62%減少**
- **尿路感染症:20%減少**
という結果が出ました。オーストラリアの大規模研究(2026年、Lancet Infectious Diseases誌)でも、口腔ケアの徹底で院内肺炎が約60%減少したと報告されており、これは偶然の結果ではありません。
## なぜ今、「感染してから治す」ではなく「感染させない」が重要なのか
ここから、ICDとしての視点をお話しします。
### 耐性菌はもう「特別な病院の中の話」ではありません
これまで私たちは、感染症にかかったら抗生物質(抗菌薬)を使って治す、という考え方に慣れてきました。しかし、長年にわたる抗菌薬の使いすぎ(乱用)により、**薬が効かない、あるいは効きにくい「耐性菌」**が世界中で増え続けています。
耐性菌に感染すると、
- これまで効いていた薬が効かない
- より強い薬、あるいは複数の薬を組み合わせる必要がある
- 治療が長引き、入院期間も延びる
- 最悪の場合、有効な治療手段がなくなる
といった事態が起こります。これは決して大きな病院だけの問題ではなく、在宅や施設で療養されている、体力の落ちた高齢の方にとって、より深刻な問題です。誤嚥性肺炎や尿路感染症を繰り返すたびに抗菌薬を使えば使うほど、その方の体の中や、身の回りの環境で耐性菌が育ちやすくなっていきます。
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### 「安くてよく効く薬」が、これから貴重品になっていく
もう一つ、あまり知られていない、しかし重要な問題があります。
抗菌薬は開発にも製造にも費用がかかる一方で、薬価(薬の公定価格)は他の薬に比べて低く抑えられていることが多く、**製薬会社にとって「儲かりにくい薬」**になりがちです。その結果、
- 新しい抗菌薬の開発から撤退する製薬会社が増えている
- 採算が合わず、供給停止・出荷調整になる医薬品が出てきている
- 一部の抗菌薬は、すでに「必要なときに手に入りにくい」状態になりつつある
という現実があります。つまり、**「効く薬」そのものが、これから先、当たり前に手に入るものではなくなっていく**可能性があるのです。
「感染したら薬で治せばいい」という前提そのものが、これからの時代には成り立たなくなっていく——これが、感染対策の現場で強く感じていることです。
## だからこそ、「予防」としてのプロフェッショナルケアが重要になる
このような時代だからこそ、**そもそも感染症にかからない体をつくること**の価値が、これまで以上に高まっています。
先ほどの広島大学病院の研究が教えてくれるのは、まさにこの点です。専門家が関わって口の中を清潔に保つだけで、
- 肺炎にかかる方が減れば → 抗菌薬を使う機会そのものが減る
- 菌血症にかかる方が減れば → 強い抗菌薬を使わずに済む
- 尿路感染症が減れば → 繰り返しの抗菌薬治療を避けられる
これは、目の前の患者さんお一人お一人を守るだけでなく、**社会全体で耐性菌を増やさないための、地道だけれど確実な取り組み**でもあります。
私たち歯科医師の訪問診療の役割は、虫歯や入れ歯の調整といった「治療」だけではありません。
- ご自身では見つけにくい磨き残しを見つけ、専門的にケアすること
- 唾液が少ない方、力の弱い方に合った歯ブラシ・洗口液を選ぶこと
- ご家族や介護スタッフの方と一緒に、無理なく続けられるケアの仕組みをつくること
こうした**日々の「感染させないケア」**こそが、抗菌薬にできるだけ頼らずに、その方の「食べられる」暮らしを長く守ることにつながります。
## まとめ
- 1日3回の歯磨き・マウスウォッシュという特別ではないケアで、肺炎43%減、菌血症62%減、尿路感染症20%減という結果が報告された
- 抗菌薬の使いすぎにより、薬が効きにくい耐性菌が世界的に増えている
- 薬価の低さから抗菌薬の開発・供給から撤退する動きもあり、「効く薬」が今後、貴重になっていく可能性がある
- だからこそ、感染してから薬で治すのではなく、専門的な口腔ケアで「そもそも感染させない」ことの価値が高まっている
- 在宅・施設で療養される方こそ、専門的なプロフェッショナルケアの重要性が高い
「歯医者は痛いところを治すだけの場所」ではなく、「これから先も安心して薬に頼れる体を、日々のケアで一緒に守っていくパートナー」として、私たちを気軽に頼っていただければ嬉しく思います。
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### 参考文献
1. 広島大学病院発表(報道資料):オーラルケアで肺炎などの感染症発症率が大幅低下(2026年9月8日)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2930171
2. ニッポン.com:院内感染予防のこつは清潔な口 入院患者自ら実践、発症率低下(2026年9月8日)
https://www.nippon.com/ja/news/kd1469938935030039427/
3. デイリースポーツ:院内感染予防のこつは清潔な口(2026年9月8日)
https://www.daily.co.jp/society/national/2026/09/08/0020796023.shtml
4. FNNプライムオンライン:毎日1日3回の歯みがきとマウスウォッシュで感染症リスク抑制 患者5000人で研究
https://www.fnn.jp/articles/-/1110319
5. Gigazine:「歯磨き」で院内感染のリスクを劇的に減らすことができるとの研究結果(2026年6月18日)
原著:Effectiveness of oral care for the prevention of non-ventilator hospital-acquired pneumonia (HAPPEN): a multicentre, stepped-wedge, cluster-randomised trial in Australia. *Lancet Infectious Diseases* 2026.
https://gigazine.net/news/20260618-brushing-teeth-hospital-reduce-pneumonia/
