# 透析を受けている患者さんの「むし歯」、原因は本当に細菌だけでしょうか?
# 透析を受けている患者さんの「むし歯」、原因は本当に細菌だけでしょうか?
## ふと浮かんだ疑問
日々の訪問診療や外来で、人工透析を受けている患者さんの口の中を診る機会が多くあります。むし歯や歯周病について調べていくと、「ミュータンス菌」や「歯周病菌」といった特定の細菌の名前がよく出てきます。
もちろん、細菌が虫歯や歯周病の直接の原因であることは間違いありません。しかし、透析を受けている患者さんを実際に診ていると、こんな疑問が浮かびます。
**「特定の細菌がいるかどうかよりも、口の中が乾いているかどうかの方が、むし歯のなりやすさを大きく左右しているのではないか」**
今回はこの疑問をきっかけに、透析患者さんの口腔環境について、私なりに調べたことと考えたことをまとめてみます。
## むし歯菌・歯周病菌についての基本知識
むし歯の主な原因菌は「ミュータンス菌(Streptococcus mutans)」です。この菌が糖分をエサにして酸を作り、歯を溶かす(脱灰させる)ことでむし歯が進みます。
一方、歯周病の主な原因菌の一つが「ジンジバリス菌(Porphyromonas gingivalis)」です。この菌には興味深い特徴があり、**少数しか存在していなくても、口の中の細菌全体のバランスを崩してしまう力**を持つことが知られています。こうした菌は「キーストーン病原体」と呼ばれます[1][2][3]。ちょうど、アーチ構造の頂点にある一つの石(要石=キーストーン)を抜くと全体が崩れてしまうように、この菌が少し存在するだけで、周囲の細菌が牙をむき始めるようなイメージです。
具体的には、ジンジバリス菌は白血球による殺菌の働きを弱め、それまでおとなしかった常在菌までもが悪さをし始める環境を作ってしまいます[3][4]。さらに、有害な酵素を含む小さな粒子(膜小胞)をまき散らし、これが全身に広がって慢性的な炎症の引き金になるとも報告されています[1]。
この歯周病菌と慢性腎臓病(CKD)の関係についても、多くの研究が報告されています。ある疫学研究では、ジンジバリス菌に対する抗体価が高いグループでは、慢性腎臓病の割合がおよそ2.6倍高かったという結果もあります[5][6]。慢性腎臓病と歯周病は、次のように**お互いに悪影響を与え合う関係**にあると考えられています[7][8][9]。
- 腎臓の働きが落ちる → 免疫力の低下、貧血、骨代謝の異常、そして唾液の減少(口腔乾燥)が起こり、歯周病が悪化しやすくなる
- 歯周病が悪化する → 炎症物質が全身に回り、血管を傷めて動脈硬化を進め、腎臓の状態をさらに悪くする
## それでも「細菌の種類」だけでは説明しきれないと感じる理由
こうした細菌の働きは非常に重要な知見です。ただ、実際に透析患者さんの口の中を診ていると、細菌の種類だけに注目するのでは、臨床の実感とずれる部分があるように感じます。理由は主に4つあります。
### 1. むし歯・歯周病になりやすい環境そのものが整ってしまっている
透析患者さんには、次のような背景が重なっていることが多くあります。
- 水分制限による、体の脱水傾向
- 降圧薬をはじめとする多くの薬の副作用による唾液減少[10][11][12]
- 免疫力の低下や貧血
- 加齢に伴う唾液腺機能の低下
これだけの要因が複雑に絡み合っている以上、「特定の菌がいるから」という説明だけでは、むし歯や歯周病のなりやすさを十分に説明できないのではないかと思います。
### 2. 「菌がいるからむし歯になる」のか「むし歯になりやすい環境だから菌が増える」のか
これは因果関係の証明が難しい、いわば「鶏が先か卵が先か」という問題です。菌の存在と病気の発症には確かに相関がありますが、環境が先か菌が先かは、はっきりと結論づけられていないのが実情です。
### 3. キーストーン病原体仮説が示す「環境こそが本質」という考え方
先ほど触れた通り、ジンジバリス菌は少数存在するだけで細菌叢全体のバランスを崩す力を持っています[2][3]。裏を返せば、**菌そのものの数を減らすことよりも、菌が暴れにくい口腔環境を保つことの方が、根本的な対策になる**とも言えます。
### 4. 口腔乾燥は、動脈硬化の進行度とも関係している
透析を受けている患者さんでは、動脈硬化がしばしば進行しています。動脈硬化が進むと唾液腺への血流も低下するため、唾液の分泌量自体が減ってしまいます。唾液には、次のような重要な役割があります。
- **自浄作用**:食べかすや細菌を洗い流す
- **緩衝作用**:口の中の酸性度を中和し、歯が溶けるのを防ぐ
- **抗菌作用**:細菌の増殖を抑える
- **再石灰化の促進**:歯の表面を修復するカルシウムやリンを供給する
唾液が減ると、これらすべての機能が一度に低下してしまいます。つまり、動脈硬化が進んでいる患者さんほど、口腔乾燥が進み、むし歯や歯周病のリスクも同時に高くなっている可能性がある、ということです。
## S. mutans・P. gingivalis・口腔乾燥、三者の悪循環
私なりにまとめると、むし歯菌と歯周病菌、そして口腔乾燥は、次のような悪循環の関係にあると考えられます。
1. **口腔乾燥**により、自浄作用・抗菌作用が低下する
2. 唾液に守られなくなった口の中で、ミュータンス菌もジンジバリス菌も増殖しやすくなる
3. **ジンジバリス菌のキーストーン効果**により、口の中の細菌バランス全体が崩れる(ディスバイオシス)
4. バランスが崩れた環境で、ミュータンス菌による酸の産生が進み、むし歯が進行する
5. 慢性的な炎症が全身に波及し、免疫力の低下や腎機能の悪化にもつながる
つまり、二つの菌は別々に悪さをしているのではなく、**口腔乾燥という共通の土壌の上で、互いに影響し合いながらリスクを高めている**というのが、私の考えです。
## 臨床の場で大切にしたいこと
以上を踏まえて、透析を受けている患者さんの口腔ケアでは、次の順番を意識することをお勧めしています。
### まず一番大事なのは「口腔乾燥の改善」
- **唾液腺マッサージ**:耳の下、あごの下、舌の下あたりを優しくマッサージし、唾液の分泌を促す[13]
- **保湿剤の活用**:人工唾液や保湿ジェル、保湿スプレーなどを取り入れる[14][15]
- **水分の摂り方の工夫**:水分制限の範囲内で、氷を口に含む、少量を何度かに分けて摂るなど
- **お薬の見直し**:主治医や薬剤師と相談し、口の乾きを引き起こしやすい薬がないか確認する[10][12][11]
### 次に、むし歯・歯周病そのもののケア
丁寧なブラッシングに加え、フロスや歯間ブラシなどの補助清掃用具を使うこと、必要な治療(むし歯の充填処置など)を先延ばしにしないことが大切です。うがい薬を使う場合は、アルコールを含まないものを選ぶと、粘膜への刺激が少なく済みます。
### そして、細菌そのものへの過度な注目より「環境づくり」を
特定の菌を目の敵にするのではなく、菌が暴れにくい環境=潤いのある清潔な口腔内を保つことが、結果的に一番の近道だと感じています。
## おわりに
透析を受けている患者さんの口腔ケアは、歯科だけで完結するものではありません。水分制限とのバランス、服薬状況、全身の炎症状態など、内科の主治医や薬剤師、看護・介護スタッフとの連携が欠かせません。
「むし歯になりやすいのは、悪い菌がいるせいだ」という単純な話ではなく、「なぜその菌が暴れやすい環境になっているのか」という視点を持つこと。これが、透析患者さんの口の健康、そして全身の健康を守るための、遠回りに見えて実は一番の近道ではないかと、日々の診療の中で感じています。
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## 参考文献
[1] Nature ダイジェスト「キーストーン病原体」 https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v11/n12/
[2] 学際企画「No.693 口腔と全身の健康 キーストーン病原体と栄養学」 https://www.gakusai.co.jp/dent/dent-seminar/3294/
[3] 全国歯科医師会「ディスバイオシス」 https://www.quint-j.co.jp/dictionaries/keyword/40815
[4] y-dent.jp「歯周病について知ってほしい!第12号その2 歯周病菌の話」 https://y-dent.jp/2026/05/24/
[5] PubMed「Serum antibody to Porphyromonas gingivalis in chronic kidney disease」 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22828790/
[6] KAKEN「歯周病原細菌感染度と腎機能の関連」 https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-23792504/
[7] 日本歯周病学会「慢性腎臓病と歯周病の関わり」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/perio/64/4/64_136/_html/-char/ja
[8] CareNet「慢性腎臓病とP. gingivalis感染の双方向性相互作用」 https://academia.carenet.com/share/news/9fdcf4d1-f6b9-4489-a7ec-d526a00e8a28
[9] PMC「Bidirectional Interaction Between Chronic Kidney Disease and Periodontal Disease」 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12021489/
[10] 日本透析医会「透析患者における薬剤の適正使用」 https://www.touseki-ikai.or.jp/htm/05_publish/dld_doc_public/23-2/23-2_275.pdf
[11] 日経ドラッグインフォメーション「口が乾く、喉が渇く 原因となる薬は多数」 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/di/digital/201311/533409.html
[12] 白鷺病院「透析患者に対する投薬ガイドライン」 https://www.shirasagi-hp.or.jp/goda/fmly/gate.html
[13] 日本口腔ケア学会「コンセンサスカンファレンス『人工透析における口腔ケア』報告書」 https://www.oralcare-jp.org/wp-content/uploads/2021/06/20210619.pdf
[14] 東京腎友会「お口の乾燥に要注意!透析患者さんの口腔ケアのポイント」 https://www.toseki.tokyo/blog/kouku-care/
[15] 日本透析医学会「透析を受ける方のお口のケア」 https://www.comfort-tk.co.jp/wp/wp-content/uploads/2019/08/15_Peptisal_toseki_tate_leaf_fr_1504.pdf
