筋肉とがん細胞は、体の中で ブドウ糖を奪い合っている
筋肉とがん細胞は、体の中で
ブドウ糖を奪い合っている
── 運動ががん細胞の燃料を減らす仕組みを
解明した最新研究 ──
はじめに
「運動すると、がんに対して有利になる」という話を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。疫学的な調査では、身体活動が活発な人ほどがんのリスクが低い、あるいは治療後の経過が良い、という報告が以前からなされてきました。
しかし、なぜそうなのか──その体の中の仕組みについては、長いあいだよくわかっていませんでした。
2025年12月、Yale大学とPrinceton大学の共同研究チームが、その「なぜ」に迫る論文を米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表しました。この論文は、運動が体内のエネルギーの流れをどのように変えるかを、最新の同位体トレーサー技術を使って詳しく調べたものです。
この研究が問いかけたこと
研究チームは、「有酸素運動によって骨格筋でのブドウ糖(グルコース)の取り込みが増加することで、腫瘍に届くブドウ糖が減り、腫瘍の増殖が抑えられるのではないか」という仮説を立て、検証しました。 
ブドウ糖は、私たちの体の主要なエネルギー源です。そして実は、がん細胞も正常な細胞と同じように、ブドウ糖をエネルギー源として貪欲に取り込む性質を持っています。PETスキャン(がんの画像検査)がブドウ糖を用いて腫瘍の位置を映し出せるのも、がん細胞がブドウ糖を大量に集める性質を利用しているからです。
どのように調べたか
研究では、乳がん(EO771乳腺細胞腫瘍)とメラノーマ(皮膚がんの一種)を発症させたマウスを対象に実験が行われました。マウスは自発的にホイールを回す「自由運動」の環境に置かれ、運動したグループと運動しなかったグループを比較しました。
体内のブドウ糖の動きを追跡するために、炭素の同位体(¹³C標識グルコース)を静脈に持続投与し、骨格筋・心筋・腫瘍それぞれでブドウ糖がどのように取り込まれ、代謝されているかを定量的に測定しました。 この手法により、「どの臓器がどれだけブドウ糖を使っているか」を精密に把握することが可能になりました。
わかったこと ①──運動すると腫瘍の増殖が遅くなる
自発的な運動を行ったマウスでは、腫瘍の増殖速度が運動しなかったマウスに比べて有意に遅いことが確認されました。 
わかったこと ②──ブドウ糖が筋肉に「奪われる」
運動したマウスでは、骨格筋と心筋へのブドウ糖の取り込みと酸化利用が増加し、その一方で腫瘍でのブドウ糖取り込みと酸化利用は低下していました。 
つまり、運動によって活性化した筋肉が先にブドウ糖を消費するため、腫瘍に回る燃料が少なくなる——という「代謝的な競合」が体内で起きていたのです。
この関係は統計的にも裏付けられており、筋肉でのブドウ糖代謝の増加と腫瘍でのブドウ糖代謝の低下は、腫瘍増殖の抑制と相関していることが示されました。 
わかったこと ③──がん細胞の「成長スイッチ」も抑えられる
運動したマウスの腫瘍を遺伝子発現の観点から分析すると、mTOR(エムトール)シグナル伝達経路の活性が低下していることがわかりました。 
mTORとは、細胞の成長や増殖を促す重要な「スイッチ」のような分子です。がん細胞はこのスイッチをしばしば過剰に使って急速に増殖しますが、運動によってそのスイッチが抑えられていた可能性を示しています。ブドウ糖の供給が減ることで、がん細胞の増殖を促すシグナルそのものが弱まるという、二重のメカニズムが示唆されています。
わかったこと ④──「体力」そのものが鍵になる
この研究のもうひとつ重要な点は、単に「運動した・しなかった」という二択ではなく、体力(フィットネスレベル)の程度が代謝の変化と深く関わっていたことです。
論文では、運動能力(フィットネス)が「運動した・しなかった」という二分法を超えた連続的な指標として、腫瘍の代謝を予測する重要な要因であることが示されました。 
つまり、体力が高いほど、この「筋肉とがん細胞のブドウ糖の奪い合い」で筋肉側が有利になる可能性があるということです。
肥満がある場合はどうか
現代社会では肥満とがんの合併も珍しくありません。研究チームはこの点についても検討しています。
肥満マウスに対してがん発症前から運動(プレハビリテーション)を行うと、骨格筋・心筋でのブドウ糖の取り込みと酸化が増加し、腫瘍でのそれらが低下するという代謝の再分配が確認されました。 
肥満はインスリン抵抗性を通じてブドウ糖の代謝を乱し、がんにとって有利な環境をつくることが知られていますが、運動がそのバランスを変える可能性を示した点は重要です。
大切な注意点
この研究はマウスを用いた動物実験であり、現時点では人間で同じ効果が確認されたわけではありません。また、運動だけでがんが治る、あるいは予防できるという話ではありません。
標準的ながん治療を受けながら、主治医の指示のもとで、できる範囲で体を動かし続けることが、体にとってプラスに働く可能性を示した基礎研究として理解することが適切です。
まとめ
この論文が示したことを整理すると、次のようになります。
運動によって筋肉が活性化すると、体内のブドウ糖が優先的に筋肉へ取り込まれ、腫瘍に届く量が減る。その結果、腫瘍の増殖速度が低下し、さらにがん細胞の成長シグナル(mTOR)も抑制される——という一連の代謝的な仕組みが、マウスの実験で初めて精密に実証されました。
「なぜ運動ががんに良いのか」という問いへの、科学的な答えのひとつがここにあります。
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参考文献
Leitner BP, Fosam AE, Lee WD, Zilinger K, Nakandakari SCBR, Zhang X, Gaspar RC, Zhu W, Perry CJ, Rabinowitz JD, Perry RJ. Precancer exercise capacity and metabolism during tumor development coordinate the skeletal muscle-tumor metabolic competition. Proc Natl Acad Sci U S A. 2025 Dec 9;122(49):e2508707122. doi: 10.1073/pnas.2508707122. PMID: 41325517. PMC: PMC12704748.
