ポジションペーパーはどう変わってきたか ~欧米の「丸写し」から、 日本・アジア発の世界基準へ~
薬剤関連顎骨壊死(MRONJ)の
ポジションペーパーはどう変わってきたか
~欧米の「丸写し」から、
日本・アジア発の世界基準へ~
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はじめに:ポジションペーパーとは何か
ポジションペーパーとは、学術団体が最新の研究・臨床データに基づいて公表する「公式の治療指針」です。どの薬剤が原因となるか、何をもって診断するか、どう治療するか——歯科医師・医師・薬剤師が日常臨床で判断する際の根拠となる、いわば「現場のルールブック」です。
MRONJの分野では2007年以降、米国口腔外科学会(AAOMS)が世界のポジションペーパーをリードしてきました。日本もその内容を踏襲する形で指針を作成し続けてきましたが、2023年の大改訂でその構図が根本から変わりました。日本・アジア独自のデータを用いて策定された初のポジションペーパーが誕生し、長年の「常識」が覆されたのです。
第1期(2007〜2012年):AAOMSが世界基準を作り、日本はそれに従った
2007年、AAOMSが世界初のMRONJ(当時はBRONJ)ポジションペーパーを発表しました。ここで確立された3つの診断基準——①原因薬剤の使用歴、②8週間以上の骨露出、③放射線照射歴・顎骨転移がないこと——は現在も診断の基本骨格として使われています。また重症度を示すステージ分類(0〜3)も導入され、治療方針の標準化が図られました。
日本では2010年に国内版ポジションペーパーが初めて刊行されましたが、その内容はAAOMSの基準をほぼそのまま日本語に置き換えたものでした。2012年の改訂では「BP製剤を3年以上使用している場合、抜歯前に3ヶ月の休薬を検討する」という記載が加わりました。この「3ヶ月休薬」は科学的根拠が十分でないまま歯科臨床の現場に広まり、長年にわたって事実上の絶対条件として定着していきました。
この時期の日本のポジションペーパーの問題点は、日本人・アジア人のデータがほとんど存在せず、欧米の患者データをそのまま日本の臨床に当てはめていたことでした。
第2期(2014〜2022年):薬剤の拡大と名称変更、しかし欧米依存は続いた
2014年のAAOMS改訂では、デノスマブ・血管新生阻害薬による顎骨壊死の報告が相次いだことを受け、疾患名が「MRONJ(薬剤関連顎骨壊死)」に変更されました。これはポジションペーパーの歴史において重要な転換点であり、「特定の薬だけの問題」から「複数の薬剤にまたがる問題」へと疾患概念が拡張されたことを意味します。
日本は2016年のポジションペーパーで「ARONJ(骨吸収抑制薬関連顎骨壊死)」という独自の名称を採用しました。しかし治療方針の本質は変わらず、依然として「休薬して侵襲的処置を待つ」というAAOMSの流れを踏襲する内容でした。
2022年、AAOMSが8年ぶりに改訂を行いましたが、ステージ0を残すなど旧態依然の内容でした。一方ヨーロッパでは「休薬は発症リスクを下げない」という研究データが相次いで報告され、世界的に指針の見直しを求める声が高まっていきました。
約15年間、日本のポジションペーパーは欧米のデータに依拠した指針に従い続けました。人種・骨格・薬剤使用状況・食生活が異なる日本人・アジア人に欧米基準をそのまま適用することへの疑問は、臨床現場で静かに積み重なっていたのです。
第3期(2023年):ポジションペーパーの主役が交代した
2023年に日本が発表したポジションペーパーは、それまでの国内指針とは根本的に異なります。初めて日本・アジア独自の大規模実証データに基づいて策定されたという点で、これはポジションペーパーの「作り方」そのものの転換でした。欧米のデータを参照・翻訳するのではなく、日本とアジアの臨床データを自ら収集・分析し、独自の結論を導き出したのです。
その結果、5つの大転換がもたらされました。
①名称を「MRONJ」に統一。 日本独自の「ARONJ」を廃止し、国際標準に一本化しました。
②「予防的休薬は原則として行わない」を明記。 これが最大かつ最も重要な転換点です。日本・アジアの大規模データの分析によって、休薬してもMRONJの発症リスクは低下しないことが科学的に示されました。さらに休薬によって骨粗鬆症の治療効果が損なわれ、骨折リスクが高まることが新たな問題として浮上しました。「顎を守ろうとして全身の骨が折れやすくなる」という本末転倒を防ぐための、エビデンスに基づいた明確な方針転換です。長年にわたり日本の歯科臨床に根付いていた「まず休薬」という常識が、ここで正式に否定されました。
③真のリスク因子の明確化。 「抜歯などの侵襲的処置」よりも「重度歯周病など顎骨の感染源の存在」こそが最大の誘因であることが、アジアのデータで初めて明確化されました。この発見はポジションペーパーの予防戦略を根本から変えるものです。
④ステージ0の除外。 証拠の乏しい曖昧な病態概念として、診断基準から正式に削除されました。
⑤治療目標を「完治」へ転換。 長期的な保存療法(緩和)から、早期の外科的介入による積極的な治癒へと、ポジションペーパーの推奨が大きく舵を切りました。
◎2026年:日本発の転換が、世界基準になる
2023年改訂を足がかりに、アジア骨粗鬆症学会(AFOS)が2026年にアジア10カ国をまとめた初の国際ポジションペーパーを発行予定です。「休薬はしない(アジアの8割はすでに休薬していない)」「医科は歯科治療が完了するまで最長6ヶ月待機する」という方針が、アジア発の世界基準として打ち出される見込みです。
2007年以来、常にAAOMSのポジションペーパーが世界の指針をリードしてきました。しかし2026年以降は、日本・アジアが独自のデータで作り上げた指針が、逆に世界標準を塗り替えていく可能性があります。ポジションペーパーの主導権が、初めて欧米からアジアへと移ろうとしているのです。
なぜ今、医歯薬連携がより重要になったのか
ポジションペーパーが変わることで、臨床現場の連携のあり方も変わります。かつては「処方医が休薬を指示し、歯科医師がそれを待つ」という一方向の流れが常識でした。しかし2023年以降は、休薬の要否・感染源の管理・手術のタイミングを医師・歯科医師・薬剤師が対等に議論しながら決める体制が求められます。2026年の国際ポジションペーパーでは「医科は歯科治療完了まで最長6ヶ月待機する」という新たな枠組みも想定されており、医歯薬の協働体制の構築が急務です。
骨粗鬆症・がん治療中の患者さんへ一言お伝えします。「薬を止めないと歯を抜いてもらえない」という時代は終わりました。 受診の際には服用中のすべての薬を歯科医師にお伝えください。医師・歯科医師・薬剤師が連携して、お口と全身の健康を一緒に守っていきます。
参考:AAOMS Position Paper 2007・2009・2014・2022年版、日本口腔外科学会MRONJポジションペーパー2010・2012・2016・2023年版、AFOS 2026年版(予定)
