ピロリ菌除菌を「細菌との共生」という視点から考える ~現代ビジネスの記事を読んで、歯科医師として感じたこと~
ピロリ菌除菌を
「細菌との共生」という視点から考える
~現代ビジネスの記事を読んで、感じたこと~
現代ビジネスに掲載された美馬達哉氏の記事で、ピロリ菌が「昔からの幼なじみ」として紹介されているのを読み、深く考えさせられました。
ピロリ菌除菌は、単に「悪い菌をやっつける治療」ではなく、「人と細菌の長年のバランスを意図的に変える医療介入」なのだと改めて感じています。
歯科医師として毎日、お口の中の細菌と向き合う中で、「菌をゼロにする」のではなく「バランスを整える」ことの大切さを実感してきました。今回は、そのような視点からピロリ菌除菌について整理してみたいと思います。
現代ビジネスの記事から気づいたこと
記事では、ピロリ菌を「胃がんの原因」としてだけでなく、「胸やけや食道がんを減らしているかもしれない存在」としても紹介していました。
アメリカのマーティン・ブレイザー博士の研究によれば、ピロリ菌は「人類と6万年以上ともに進化してきた昔からの幼なじみ」であり、「いつの日にか私たちはピロリ菌を『失われた菌』として子どもたちに戻すために投与することになるかもしれない」という指摘がありました。
「病原菌=悪」と単純に決めつけない、この視点がとても印象的でした。
この記事をきっかけに、以下のことを整理したいと感じました。
∙ ピロリ菌にも「良い面」があるのではないか
∙ それでも日本では「原則除菌」が推奨されているのはなぜか
∙ 除菌がお口を含む他の細菌バランスに与える影響をどう考えるべきか
私たちは細菌と「共生」している
私たちの体には、想像以上に多くの細菌が住んでいます。
お口の中には約700種類、腸の中には数兆個規模の細菌がいて、食べ物の消化を助けたり、ビタミンを作ったり、免疫の調整をしたり、粘膜を守ったりと、さまざまな形で健康を支えてくれています。
これらの細菌(常在菌)は、生まれて間もない頃から私たちの体に住みつき、免疫システムと助け合いながら、長い時間をかけて一緒に進化してきた「同居人」のような存在です。
お口の中でも腸の中でも、大切なのは「菌をゼロにする」ことではなく、いろいろな種類の菌がバランスよく共存している状態です。
このバランスが崩れること(専門用語で「ディスバイオシス」といいます)が、むし歯・歯周病、腸の病気、糖尿病などさまざまな病気と関係していることが、多くの研究でわかっています。
「悪い菌をなくす」ではなく
「バランスを整える」
むし歯や歯周病の治療を例に考えてみましょう。
むし歯菌として有名なミュータンス菌や、歯周病に関わるP. gingivalisなどが「悪玉菌」としてよく取り上げられます。
でも実際の治療では、その菌だけをやっつけようとするのではなく、歯みがき、食生活、タバコ、唾液の量など、背景も含めてお口の中の細菌全体を健康な状態に戻すことを目指します。
腸内細菌でも同じです。
「善玉菌だけを増やせば良い」のではなく、いろいろな種類の菌が一緒に暮らすことで、免疫が過剰に反応しなくなり、アレルギーや自己免疫の病気の予防につながることがわかっています。
逆に、「良い菌だけ」を残そうとすると、菌の種類が減ってしまい(多様性の低下)、かえって慢性的な炎症や代謝の異常が起こりやすくなる可能性も指摘されています。
つまり、「悪い菌を全部やっつけて、良い菌だけにする」という考え方そのものが、実は現実的でも望ましい方法でもないのです。
ピロリ菌という「やっかいな幼なじみ」
胃にとっては明らかなリスク
ピロリ菌(正式名:ヘリコバクター・ピロリ)は、胃がん、胃潰瘍・十二指腸潰瘍、MALTリンパ腫などの大きな原因です。
世界保健機関(WHO)の専門機関は、ピロリ菌を**胃がんを引き起こす確実な因子(グループ1)**に分類しています。
大規模な研究により、ピロリ菌に感染していると胃がんになるリスクが明らかに高くなることは、今では医学界の共通認識となっています。
一方で「守ってくれているかもしれない」側面
ところが興味深いことに、ピロリ菌には以下のような「保護的」な側面も報告されています。
∙ ピロリ菌を持っている人は、胸やけ(逆流性食道炎)や食道がんになりにくい可能性がある
∙ 喘息やアトピー性皮膚炎などのアレルギーになりにくいという報告がある
∙ ブレイザー博士らは、ピロリ菌が胃酸の出すぎを抑えることで食道を守り、同時に免疫システムの「ブレーキ役」として働いている可能性を指摘しています
このように、ピロリ菌は**「胃にとっては危険な存在だけれど、他の臓器や免疫に対しては守ってくれているかもしれない」という二つの顔を持つ**、まさに「やっかいな幼なじみ」なのです。
ピロリ菌除菌のメリット:胃の将来を守る
日本を含む胃がんの多い地域での研究では、以下のことが明らかになっています。
除菌によって得られるメリット
∙ ピロリ菌を除菌すると、長期的に胃がんのリスクが3~5割程度下がる
∙ 早期の胃がんを内視鏡で取った後に除菌をすると、新しい胃がんができにくくなる
∙ 胃潰瘍・十二指腸潰瘍では、除菌に成功すると再発がほとんどなくなり、出血や穿孔(胃に穴が開くこと)といった危険な合併症も防げる
∙ MALTリンパ腫や特発性血小板減少性紫斑病(ITP)など、ピロリ菌が関係する一部の病気では、除菌によって症状が良くなる
日本ヘリコバクター学会のガイドライン(治療指針)は、日本のように胃がんの多い国では**「ピロリ菌がいたら、基本的には除菌しましょう」**という立場を明確にしています。
デメリット:他の細菌バランスが崩れる可能性
一方で、除菌には以下のような心配な点もあります。
除菌によって起こりうる問題
∙ 長年ピロリ菌がいて胃の粘膜が薄くなっている人では、除菌によって胃酸が出やすくなり、その結果として新たに胸やけや逆流性食道炎が起こったり悪化したりするケースが報告されています
∙ 除菌に使う抗生物質と胃薬は、腸内細菌だけでなく、お口の中の細菌バランスにも一時的な乱れを起こすことがわかっています
∙ すでに胃の粘膜が薄くなっていたり、腸のような細胞に変化している高齢の方では、除菌後も胃がんのリスクは完全にはなくならないため、定期的な内視鏡検査が必要です
∙ 喘息・アレルギー・食道がんに対するピロリ菌の「守ってくれる」側面が、除菌によってどれくらい失われるのかについては、今のところはっきりした答えが出ていません
ここでも、**「悪い菌だけを消したつもりが、別のところでバランスを崩してしまう可能性がある」**という、細菌バランス全体に共通するテーマが見えてきます。
お口の細菌とピロリ菌:
歯科医師から見える世界
歯科医師として特に注目しているのは、ピロリ菌とお口の関係です。
お口とピロリ菌の意外な関係
∙ ピロリ菌は胃だけでなく、唾液・歯垢・舌の苔など、お口の中からも見つかることがあります。お口がピロリ菌のもう一つの住み家となり、胃への再感染の原因になっている可能性が指摘されています
∙ 除菌がうまくいった人と失敗した人でお口の細菌の種類が違うことがわかっており、特に歯周病に関係する菌が多いお口の環境では、除菌が失敗したり再感染しやすくなったりする可能性が示されています
∙ 舌の苔の細菌を調べた研究では、除菌の前後で一時的に細菌の種類が減りますが、時間が経つと回復する傾向が見られています
∙ お口の中の細菌バランスが崩れることが、心臓病、糖尿病、肺の病気、妊娠中のトラブルなど多くの全身の病気と関係していることが報告されています
歯科医師としてお伝えしたいこと
∙ ピロリ除菌の前後は、お口の環境を整えることで除菌の成功率や再感染のリスクに影響する可能性がある、大切なタイミングです
∙ お口の中の細菌バランスを整えることは、胃だけでなく全身の炎症や免疫のバランスを整える第一歩になります
医学的に言えること
∙ 日本のように胃がんの多い国では、現在の研究結果と治療指針から見て、「ピロリ菌がいたら基本的には除菌する」という方針は妥当だと考えられます
∙ ただし、除菌は「胃がんのリスクをゼロにする治療」ではなく、「リスクを大きく減らすけれど、完全にはなくならない治療」です。特に高齢の方や胃の粘膜の変化が進んでいる方では、除菌後も内視鏡検査が必要です
∙ ピロリ菌には「守ってくれる」側面もありますが、日本人全体で見ると、総合的に判断して除菌のメリットの方が大きいと考えられています
歯科医師として感じていること
現代ビジネスの記事を読んで、「ピロリ菌=悪」ではなく、「昔からの幼なじみ」としての側面があることを知り、細菌との共生という視点から物事を見る大切さを改めて感じました。
歯科の現場では、これからも以下のことを大切にしていきたいと考えています。
∙ 「とにかく菌を減らす」のではなく、「菌とどう付き合うか」「どうバランスを取るか」を患者さんと一緒に考えること
∙ ピロリ除菌の前後を、お口の中の細菌バランスを見直す良い機会として活用し、歯みがき指導、歯周病治療、舌のお手入れ、生活習慣のご相談を通じて、全身の健康づくりに関わっていくこと
患者さんへのメッセージ
ピロリ菌は、たしかに胃がんや潰瘍の大きな原因です。
でも同時に、「人間と長い時間をかけて一緒に暮らしてきた細菌」でもあります。
日本では、胃がんの多さと研究の結果から、「ピロリ菌が見つかったら、基本的には除菌しましょう」という方針が示されています。
ただし、これは「悪い菌だけを消して、良い菌だけを残す」という単純な話ではありません。
考えるべきポイント
メリット:
∙ 胃がん・潰瘍のリスクを減らせる
デメリット:
∙ 胸やけや逆流性食道炎が新たに出たり悪化したりする可能性
∙ 抗生物質による副作用
∙ お口や腸の細菌バランスの一時的な乱れ
忘れてはいけないこと:
∙ 私たちはもともと、無数の細菌と一緒に暮らしている
これらをふまえて、「自分はどこまでリスクを減らしたいか」「どのくらいの副作用なら受け入れられるか」を、主治医の先生と一緒に考えることが大切だと思います。
歯科医院としての役割
当院は、以下のような場所でありたいと考えています。
∙ 「細菌=悪」ではなく、「細菌とどう付き合うか」「どうバランスを取るか」を一緒に考える場所
∙ ピロリ除菌の前後で、お口の中の細菌バランスを整えるお手伝いを通じて、全身の健康づくりに関わる場所
現代ビジネスの記事を読み、最新の研究を追いながら、このようなメッセージをこれからも丁寧にお伝えしていきたいと思います。
参考文献
一般向け記事・背景
1. 美馬達哉. 「ピロリ菌=悪玉菌」は証明されたか?いま本当に分かっていること. 現代ビジネス, 2018年4月.
2. 美馬達哉. ピロリ菌をもっている人のほうがなりにくい「病気」をご存知ですか?現代ビジネス, 2025年2月.
3. Blaser MJ. Missing Microbes. Henry Holt, 2014(邦訳『失われてゆく、我々の内なる細菌』みすず書房, 2015).
マイクロバイオーム・共生
4. Rajasekaran JJ, et al. Oral Microbiome: A Review of Its Impact on Oral and Systemic Health. Front Microbiol. 2024;13:1011142.
5. Kilian M, et al. The oral microbiome – an update for oral healthcare professionals. Br Dent J. 2016;221(10):657-666.
6. The Oral Microbiome and Systemic Health. Microorganisms. 2025;13(3):515.
7. Editorial: The oral microbiome and its impact on systemic health. Front Microbiol. 2025;16:1547953.
8. 腸管免疫の恒常性における腸内細菌の役割. 慶應義塾大学病院KOMPAS.
9. 無害な腸内細菌への攻撃を抑える免疫細胞ができる仕組み. Nature Digest.
ピロリ菌除菌・胃がん予防
10. Fukase K, et al. Effect of eradication of Helicobacter pylori on incidence of metachronous gastric carcinoma after endoscopic resection of early gastric cancer: an open-label, randomised controlled trial. Lancet. 2008;372(9636):392-397.
11. Japanese Society for Helicobacter Research. Guidelines for the management of Helicobacter pylori infection in Japan: 2016 Revised Edition. J Gastroenterol. 2017;52(1):1-24.
12. Liou JM, et al. Screening and eradication of Helicobacter pylori for gastric cancer prevention: the Taipei global consensus. Gut. 2020;69(12):2093-2112.
13. Current guidelines for Helicobacter pylori treatment in East Asia 2022. World J Gastroenterol. 2022;28(19):2073-2089.
14. Optimizing Helicobacter pylori Treatment: An Updated Review. Antibiotics. 2023;12(9):1407.
15. 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター. ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク.
16. Sugano K, et al. Effect of Helicobacter pylori eradication on gastric cancer risk in patients with intestinal metaplasia or dysplasia: a meta-analysis of randomized controlled trials. Front Microbiol. 2025;16:1530549.
ピロリ菌の「保護的」側面
17. Blaser MJ, Chen Y, Reibman J. Does Helicobacter pylori protect against asthma and allergy? Gut. 2008;57(5):561-567.
18. Ottman N, et al. Helicobacter pylori and its Reservoirs: A Correlation with the Gastric Infection. Helicobacter. 2015;20(1):1-5.
19. Doulberis M, et al. Reconsidering the “protective” hypothesis of Helicobacter pylori infection: the jury is still out. Helicobacter. 2020;25(5):e12736.
20. Islami F, Kamangar F. Helicobacter pylori and esophageal cancer risk: a meta-analysis. Cancer Prev Res (Phila). 2008;1(5):329-338.
ピロリ菌と口腔マイクロバイオーム
21. Song Z, et al. Helicobacter pylori and oral–gut microbiome: clinical implications. Trends Microbiol. 2023;31(12):1289-1302.
22. Wang Y, et al. Effects of Helicobacter pylori and Helicobacter pylori eradication on the microbiota of tongue coating. Helicobacter. 2024;29(5):e13118.
23. Liu X, et al. Oral Microbiota, a Potential Determinant for the Treatment Efficacy of Gastric Helicobacter pylori Eradication in Humans: A Proof-of-Concept Study. mSystems. 2022;7(6):e0092022.
24. Luo Y, et al. The interactions between oral–gut axis microbiota and Helicobacter pylori. Front Cell Infect Microbiol. 2022;12:1029254.
口腔と全身のつながり
25. Oral and Gut Microbiota Dysbiosis Due to Periodontitis: Systemic Implications and Links to Gastrointestinal Disease. Microorganisms. 2024;12(9):1832.
26. From periodontal infection to oral–systemic dysbiosis: mechanisms and clinical implications. Front Cell Infect Microbiol. 2025;14:1519472.
27. 口腔細菌叢の乱れは腸内細菌叢の乱れ. 理化学研究所プレスリリース, 2025.
