Part.3 私の記事は正しかったのか?——疑問に答える
# 私の記事は正しかったのか?——疑問に答える
前回、前々回と、「成人のむし歯は慢性疾患である」「高齢者の口腔ケアは全身感染予防につながる」というテーマでお伝えしてきました。
多くの方に読んでいただいた一方で、こんなご質問もいただきました。
「むし歯菌で心臓病になるって本当?」
「歯医者に行くのが怖くなりました」
「歯科医師の宣伝では?」
今回は、こうした疑問に正面から答えます。私の記事の「言い過ぎだった点」も認めた上で、**何を心配すべきで、何を心配しなくてよいのか**を明確にします。
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## 先に結論をお伝えします
**口腔ケアは大切です。このメッセージは変わりません。**
ただし、前回までの記事で不安を感じた方がいらっしゃるなら、それは私の説明が不十分だったからです。
この記事を読み終えれば、「そこまで心配しなくてよかったんだ」と思っていただけるはずです。
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## 疑問1:「医師が書いた論文」をなぜ強調するのですか?
### ご質問の趣旨
「歯科医師が書いた論文は信用できないということですか?」
### お答え
**いいえ、違います。**歯科医師による研究は、口腔医学の発展を支えてきた極めて重要なものです。
私が強調したかったのは、**「誰が、誰に向けて発信しているか」**という点です。
JAMAは医師向けの権威ある医学雑誌です。これまで、むし歯は「歯科の領域」として、医科からは別世界の話と見なされがちでした。
**そのJAMAに、医師が「むし歯は全身の健康課題であり、医科も関わるべきだ」と書いた。**
これは、**医学界の内部から「歯科と医科の垣根を越えよう」という声が上がった**ことを意味します。
患者さんにとっては、内科の先生が「歯医者さんにも行っていますか?」と気にかけてくれる時代が来つつある、ということです。
**ただし、補足があります。**
この総説は大規模な新研究ではなく、既存の知見をまとめた短い概説記事です。これ一つで医学の常識が変わったわけではありません。
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## 疑問2:「むし歯菌が全身に影響する」は本当ですか?
### ご質問の趣旨
「むし歯があると心臓病になるのでしょうか?」
### お答え
**むし歯があるからといって、心臓病になるわけではありません。**
研究で示されているのは「関連」であり、「因果関係」ではありません。「心臓病の患者さんから口の中の菌が見つかった」という観察結果は、むし歯菌が心臓病を「引き起こした」証明ではないのです。
**ただし、以下は医学的事実です。**
- 口の中の細菌が血液中に入ることがある(菌血症)
- 感染性心内膜炎の原因菌に口腔細菌が含まれる
- S.m菌(むし歯菌)もその一種である
つまり、**「口の中の細菌を減らしておくことは、理にかなった予防策」**ということです。
**患者さんへ:** むし歯を過度に心配する必要はありません。ただ、放置してよい理由にもなりません。
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## 疑問3:歯磨きで菌血症が起きるなら、磨かない方がいい?
### ご質問の趣旨
「歯磨きでも菌血症が起きるなら、磨かない方が安全では?」
### お答え
**いいえ、逆です。歯を磨いてください。**
健康な人でも、歯磨きや食事のたびに一時的な菌血症は起きています。しかし、体はすぐにこれを処理し、症状は何も出ません。**菌血症自体は「病気」ではありません。**
問題は、歯を磨かないと口の中の細菌が増え、歯ぐきに炎症が起きること。すると、**食事のたびに、より多くの細菌が血液に入りやすくなります**。
**歯磨きで一時的に菌血症が起きることより、磨かないことで慢性的に菌血症が起きやすくなることの方が問題です。**
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## 疑問4:歯医者に行くと菌血症が起きて危険?
### ご質問の趣旨
「抜歯で菌血症が起きる確率が高いと聞いて、怖くなりました」
### お答え
**怖がらないでください。歯医者に行かないことの方がリスクです。**
確かに、抜歯では約60%以上の確率で一過性の菌血症が起きます。しかし、これは15〜30分で体が処理し、症状は出ません。
**もっと重要なのは:**
膿んでいる歯を放置すると、毎日の食事のたびに菌血症が繰り返されます。抜歯すれば一時的に菌血症は起きますが、**その後は感染源がなくなり、リスクは大幅に下がります**。
膿んだ傷を放置するか、一度きちんと治すか——治す方がずっと安全です。
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## 疑問5:「口腔ケアで肺炎予防」は証明されていますか?
### ご質問の趣旨
「本当にそこまで効果があるのですか?」
### お答え
**正直に言うと、「完璧に証明された」とは言い切れません。**
有名な研究では、口腔ケアを徹底したグループは肺炎が少なかったと報告されています。しかし、その後の研究では結果にばらつきがあります。
**現時点での科学的見解:**
- 人工呼吸器患者への口腔ケアは効果あり(比較的よく証明されている)
- 介護施設高齢者への口腔ケアは効果がある可能性あり(まだ研究が必要)
**それでも口腔ケアを勧める理由:**
1. 害がない(副作用がない)
1. 口の健康には確実に良い
1. 理屈として筋が通っている(口の細菌を減らせば誤嚥性肺炎のリスクは下がるはず)
**「絶対に肺炎にならない」とは言えませんが、「やって損はない」とは言えます。**
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## 疑問6:怖いことばかり書いて、不安を煽っていませんか?
### ご意見の趣旨
「菌血症、心内膜炎、敗血症……怖い言葉ばかりで不安になりました」
### お答え
**申し訳ありませんでした。これは私の反省点です。**
**はっきりさせておきます:** 感染性心内膜炎や敗血症は**まれな病気**です。普通の健康な方が心配する必要はほとんどありません。
**特に注意が必要なのは以下の方だけです:**
- 心臓弁膜症がある方
- 人工弁を入れている方
- 感染性心内膜炎の既往がある方
これらに該当する方は、歯科治療前にお知らせください。それ以外の方は、普通に治療を受けて大丈夫です。
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## 疑問7:結局、歯医者の宣伝では?
### ご意見の趣旨
「歯科医師が『歯は大事』と言うのは当然。ポジショントークでは?」
### お答え
**その通りです。私にはバイアスがあります。**
私は歯科医師であり、口腔ケアの重要性を訴えることは私の仕事と一致しています。
**ただし、心がけたことがあります:**
- 自分の意見ではなく、査読付き医学雑誌の研究を根拠にする
- 歯科系雑誌だけでなく、医科の主要雑誌(JAMA、Circulationなど)も引用する
**そして、JAMAに医師が「むし歯は全身の健康課題だ」と書いたこと——これは、歯科医師だけが言っているわけではないという証拠の一つです。**
それでも完全に客観的であることは不可能です。だからこそ、今回このように自分の記事の限界を正直にお伝えしています。
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## まとめ:何を心配し、何を心配しなくてよいか
### 心配しなくてよいこと
- **歯磨きで菌血症が起きる** → 健康な人では問題なし。磨いてください
- **むし歯があると心臓病になる** → 因果関係は証明されていません
- **歯医者に行くと感染症になる** → 逆。治療で感染源をなくす方が安全
### 気をつけていただきたいこと
- **心臓弁膜症・人工弁・心内膜炎既往がある方** → 歯科治療前にお知らせください
- **介護が必要なご家族がいる方** → 毎日の口腔ケアを習慣に
- **すべての方** → 定期的な歯科受診で早期発見・早期対処を
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## 最後に:医科と歯科の連携がもたらす未来
JAMAに医師が「むし歯は全身の健康課題である」と書いたこと——これは、医学界で口腔の健康の位置づけが変わりつつある証拠です。
内科の先生が「歯周病も治療しましょう」と言ってくれる。心臓手術の前に歯科と連携してくれる。こうした**医科と歯科の連携**が、皆さんの健康を守る新しい形になっていくと考えています。
私たち歯科医師も、口の中だけでなく、皆さんの全身の健康を視野に入れて診療にあたっていきます。
疑問や不安があれば、いつでもご相談ください。
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## 参考文献
1. Alpert E, Silk H, Simon L. Dental Caries in Adults. JAMA. 2025;335(1):82-83.
1. Lockhart PB, et al. Bacteremia associated with toothbrushing and dental extraction. Circulation. 2008;117(24):3118-3125.
1. Wilson WR, et al. Prevention of Viridans Group Streptococcal Infective Endocarditis. Circulation. 2021;143(20):e963-e978.
1. Yoneyama T, et al. Oral care reduces pneumonia in older patients in nursing homes. J Am Geriatr Soc. 2002;50(3):430-433.
1. Habib G, et al. 2023 ESC Guidelines for the management of endocarditis. Eur Heart J. 2023;44(39):3948-4042.
1. Teles F, et al. Bacteremia following different oral procedures: Systematic review and meta-analysis. Oral Dis. 2024;30(4):2067-2237.
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*この記事は、医学文献に基づきつつ、その解釈の限界も含めて正直にお伝えすることを心がけました。個々の症状や治療については、かかりつけの歯科医師・医師にご相談ください。*
