幕張の夜、響いた「タリホー」
# 幕張の夜、響いた「タリホー」
## ザ・クロマニヨンズが教えてくれた、
人生という獲物の見つけ方
昨夜の幕張メッセ。巨大な会場が熱狂のるつぼと化していた。
フェスの喧騒、いくつものバンドの音がぶつかり合う中で、ザ・クロマニヨンズがステージに現れた瞬間、空気が変わった。張り詰めて、爆発した。
理屈なんてどうでもいい。純粋で暴力的なロックンロールの塊がそこにあった。ノンストップで叩きつけられる楽曲の嵐に身を任せながら、僕の頭は一つの雄叫びから離れなくなっていた。
「タリホー」。
フロアを揺るがす大合唱の中で、この言葉は単なる楽曲のタイトルを超えていた。もっと根源的な「問い」として響いていた。
### 「見つけたぞ!」の瞬間
「タリホー」って何だろう。
狩人が獲物を見つけた時、戦闘機乗りが敵機を捕捉した時に発する言葉だ。「見つけたぞ!」「今から行くぞ!」という、発見と行動の合図。
クロマニヨンズがステージから放つ「タリホー」は、彼らがロックンロールという「獲物」を捉えた喜びの爆発だ。そして同時に、僕たち一人ひとりへの問いかけでもある。
人生という広い荒野で、本当に追いかけたいもの、心の底からやりたいこと。それがあなたにとっての「獲物」だ。僕たちはそれを見つけているだろうか。
「タリホー」は、その獲物を見つけた瞬間の興奮であり、迷いを振り切って踏み出すための、自分への掛け声なのだ。
### 音楽は鏡、映るのは自分
クロマニヨンズの音楽は答えをくれない。甲本ヒロトが言うように、「意味を考えすぎる」ことへの抵抗でもある。歌詞には意図的に「余白」が残されている。
歌に出てくる「ほんとうのとき 教える時計」「おもいをはかる 温度計」。そんな完璧な道具は存在しない。だから僕たちは、不確かさの中で自分だけの「本当」を手探りで見つけるしかない。
彼らは「月」を取ってきてはくれない。「ほら、あそこ!」と指差すだけ。その指ばかり見ていても、月の美しさは分からない。
この「余白」が、彼らの音楽を「鏡」にしている。「タリホー」のCDジャケットが鏡面になっているのも、きっとそういうことだろう。
彼らの音楽を聴いて何かを感じたなら、それは楽曲の「正解」に感動しているんじゃない。音楽という鏡に映った、自分自身の気持ちに感動している。
「やる事は わかってる 立ち上がる」という歌に背中を押されたなら、その「立ち上がろう」という気持ちこそが、あなたの中に生まれたメッセージなのだ。
### 形は変わる、本質は変わらない
楽曲の中で歌われる一節がある。
*「形は変わる 自分のままで」*
水が氷になっても、水蒸気になっても、本質は変わらない。同じように、THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS、そしてザ・クロマニヨンズと、バンドの形は変わってもヒロトとマーシーが鳴らすロックの本質は何も変わらない。
これは変化の激しい時代を生きる僕たちへの、強烈な自己肯定のメッセージでもある。環境が変わっても、立場が変わっても、自分の核を信じろと言っている。
### 明日への「タリホー」
ライブを終えて会場を出た今も、頭の中で「タリホー」が鳴り止まない。
それは昨夜の興奮の残響であると同時に、明日からの日常で自分の「獲物」を見つけ出すための、新たな始まりの合図でもある。
ザ・クロマニヨンズは何も教えてくれない。ただ、鏡を差し出すだけ。そこに何を映し、どんな「タリホー」を叫ぶのか。それは僕たち一人ひとりに委ねられている。
あなたの「タリホー」は、もう見つかっただろうか。