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口腔ケアは「迷走神経」へのアプローチ —— 安保徹先生の理論を訪問歯科の現場で再考する

# 口腔ケアは「迷走神経」へのアプローチ

 安保徹先生の理論を

訪問歯科の現場で再考する

## はじめに

 訪問歯科診療の現場では、天候の変化や環境の変動によって高齢患者様の体調が大きく影響を受ける場面に日々遭遇します。免疫学者・安保徹先生が提唱した「自律神経と免疫の法則」は、確かに医学界において全てが定説として認められているわけではありません。しかし、慢性期の高齢者医療、特に治癒力が低下した状態からの回復を支援する訪問歯科の現場では、この理論が臨床実感と驚くほど合致する局面が多く存在します。

 今回は、感染制御医(ICD)および歯科医師の視点から、口腔と免疫システムの深いつながりについて、患者様にもわかりやすく解説したいと思います。

## 1. 歯周病と「顆粒球」

——ストレスが引き起こす組織破壊

 安保理論では、過度なストレスによって交感神経が優位になると、白血球の一種である「顆粒球」(特に好中球)が増加し、活性酸素を放出して組織を破壊すると説明されています。

 これを歯科臨床に当てはめると、歯周病の悪化プロセスが非常に分かりやすい例となります。「ストレスがかかると歯茎が腫れる」という経験をお持ちの方は少なくないでしょう。歯周病は細菌感染症ですが、好中球が歯周病原細菌を貪食する際に活性酸素を産生して細菌を殺菌します。しかし、ストレスによって好中球が過剰に活性化されると、かえって慢性炎症を引き起こし、歯槽骨(歯を支える骨)まで破壊してしまうのです。

 訪問診療の現場で、環境の変化やストレスが大きい患者様の歯肉が急に腫脹するのは、単なる清掃不良だけでなく、全身的な免疫細胞のバランス変化が関与している可能性があります。

## 2. 「唾液」は血液から作られる

血流と免疫の密接な関係

  安保先生が繰り返し強調されたのは「低体温・低酸素」の弊害です。交感神経が緊張し続けると血管が収縮し、血流が悪化します。歯科にとって、これは**ドライマウス(口腔乾燥症)**として現れます。

  唾液は血液から作られます。血流が悪化すれば、当然、唾液の分泌量は低下します。唾液の分泌は交感神経と副交感神経の両方に支配されていますが、緊張やストレス状態では交感神経が刺激され、水分の少ないネバネバした唾液になり、口の中が乾燥します。

  感染制御医として特に注目すべきは、唾液に含まれる**分泌型IgA(免疫グロブリンA)**です。IgAは粘膜免疫の最前線でウイルスや細菌の侵入を防いでいます。涙、唾液、鼻汁、胃腸液、母乳に含まれ、粘膜面において病原体を取り囲み、体内への侵入を阻止することで感染症の発症や重症化を防ぎます。

  つまり、「緊張を解き、血流を良くすること」は、単に気分を良くするだけでなく、物理的に「感染防御因子(唾液とIgA)」を増やすための医療行為なのです。

## 3. 口腔ケアは「迷走神経」を刺激する

直接的なアプローチ

  では、どのようにして自律神経のバランスを整えるのでしょうか。ここに訪問歯科の大きな意義があります。

  解剖学的に見ると、口腔から咽頭、食道にかけては、副交感神経の代表格である**迷走神経**が豊富に分布しています。迷走神経は脳神経の中で最も長く、咽頭・喉頭の運動神経として働くだけでなく、胸腹部の内臓に網の目のように伸びる副交感神経線維を含んでいます。

  私たちが口腔ケアで粘膜を清掃したり、舌のマッサージを行ったり、嚥下(飲み込み)のリハビリテーションを実施することは、この迷走神経を直接刺激することになります。歯肉のブラッシングは副交感神経の刺激になることが知られており、寝る前の丁寧な歯磨きで副交感神経を活性化することができます。

「口から食べる」という行為自体が、消化管を動かす副交感神経のスイッチを入れる強力なシグナルです。寝たきりの患者様に対して、無理のない範囲でお口を動かし、ケアを行うことは、脳に対して「リラックスして良い時間」「消化吸収モードに入ろう」という指令を送ることに他なりません。

## 4. 多剤服用(ポリファーマシー)と口腔の悪循環

  高齢者医療で大きな課題となっている「ポリファーマシー(多剤服用)」についても、自律神経の観点から考察する必要があります。

  多くの薬剤には、副作用として交感神経を刺激したり、唾液分泌を抑制する(抗コリン作用など)働きがあります。抗コリン作用を有する薬剤は、口渇や便秘の他に、中枢神経系への有害事象として認知機能低下やせん妄などを引き起こすことがあります。個々の薬剤の抗コリン作用は小さくても、多剤併用により作用が相加的となり、抗コリン性有害事象が発現します。

「薬で症状を抑えているけれど、口はカラカラ、食欲はなく、元気が出ない」——こうした悪循環を断ち切るために、私たち訪問歯科医は主治医や薬剤師と連携し、口腔の状態から全身の薬の調整を提案することもあります。お口の状態は、全身の自律神経バランスを映す鏡だからです。

## おわりに

 現代医学のエビデンス(科学的根拠)は確かに重要です。しかし、数値やデータだけでは見落としてしまう「生体のリズム」があることも事実です。

 故・安保徹先生が遺された「体を温め、リラックスし、血流を保つことが免疫の基本である」というメッセージ。私たち訪問歯科チームは、高度な歯科治療技術を提供するだけでなく、患者様のそばで手を動かし、声をかけ、この「基本の免疫」を守るためのサポーターでありたいと考えています。

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## 参考文献

**安保徹先生の著書**

- 安保徹『こうすれば病気は治る―心とからだの免疫学』新潮社
- 安保徹『免疫革命』講談社インターナショナル
- 安保徹『疲れない体をつくる免疫力』三笠書房
- 安保徹『体温免疫力』ナツメ社

**医学的補足資料**

*歯周病と免疫細胞について*

- 「歯の神経が短期間に死滅するしくみを世界で初めて解明」九州大学研究成果(2017)
- 「歯周病におけるneutrophil extracellular trapsの役割と全身への影響」血栓止血誌 32(6): 687-694, 2021
- 「歯周病の病態形成における好中球の二面性」日本歯周病学会誌 65(3): 93-102, 2023

*唾液と免疫について*

- 「粘膜免疫について」大塚製薬ホームページ
- 「健常男女成人における唾液の分泌型免疫グロブリン A 濃度に関する研究」日本補完代替医療学会誌 12(1): 45-51
- 「感染の水際対策『口腔免疫の重要性』」Oral Wellness研究会
- 「口腔ケアで感染症予防」済生会ホームページ

*自律神経と口腔について*

- 「迷走神経」看護用語集
- 「自律神経と上咽頭の関係について」日向診療所
- 「寝る前8分間のしっかり歯磨きで副交感神経をオン」家庭画報オンライン

*ポリファーマシーについて*

- 「高齢者の医薬品適正使用の指針(総論編)」厚生労働省, 2018
- 「日本版抗コリン薬リスクスケール」日本老年薬学会
- 「ポリファーマシー対策における抗コリン性薬物有害事象リスクの評価」医薬品適正使用研究

**注記**
本記事は、安保徹先生の理論を基に、歯科臨床の視点から考察を加えたものです。医学的な治療判断については、必ず主治医にご相談ください。​​​​​​​​​​​​​​​​

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