傷の治療は「消毒とガーゼ」から「洗浄と湿潤」へ──外傷歯学会西日本支部会より
# 傷の治療は「消毒とガーゼ」から「洗浄と湿潤」へ──外傷歯学会西日本支部会より
先日、福岡歯科大学で開催された外傷歯学会西日本支部会に参加してまいりました。教育講演では、創傷管理の最新知見について学ぶことができ、従来の「常識」が大きく変わってきていることを実感しました。
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「傷ができたら消毒してガーゼを当てる」──多くの方がこれを当たり前だと思っていらっしゃるかもしれません。しかし、現代の医学では「十分に洗浄し、傷を乾かさず湿潤環境を保つ」ことが推奨されています。
今回は、この創傷管理の考え方について、患者さんにもわかりやすくご説明したいと思います。
## 軟組織と硬組織──治り方の違い
まず、お口の中には「軟組織」と「硬組織」という、性質の異なる組織があります。
**軟組織**とは、歯肉や頬の粘膜など、やわらかい組織のことです。これらは血液が豊富に流れており、細胞が活発に分裂するため、比較的早く修復されます。皮膚と同じような治り方をすると考えていただければよいでしょう。
一方、**硬組織**とは歯のことです。歯の表面を覆うエナメル質は、一度失われると再生しません。象牙質やセメント質も、限られた修復力しか持っていません。
ただし、歯の周りの歯肉は軟組織ですから、皮膚と同じ創傷治癒の原則を応用できます。抜歯後や外傷後の傷の管理も、この原則に基づいて行うことが大切です。
## 消毒薬より「洗浄」が大切な理由
従来、傷には消毒薬(イソジンなど)を使うのが当たり前でした。しかし、消毒薬には大きな問題があることがわかってきました。
消毒薬は細菌を殺すと同時に、**傷を治すために必要な細胞まで傷つけてしまう**のです。線維芽細胞、上皮細胞、免疫細胞といった、傷の修復に欠かせない細胞が、消毒薬によってダメージを受けてしまいます。
実際の研究でも、「消毒薬を使うより、生理食塩水でしっかり洗浄した方が感染のリスクが低い」という結果が出ています。
歯科治療においても、抜歯後や外科処置後は、まず**水でしっかりと洗い流すこと**が推奨されています。
## 日本の水道水は安全です
「水道水で洗って大丈夫なの?」と心配される方もいらっしゃるかもしれません。
日本の水道水は世界最高水準の品質管理がされており、傷の洗浄に安心して使えます。日本創傷外科学会のガイドラインでも、「傷は水道水で十分に洗い流す」「消毒薬や生理食塩水は必ずしも必要ない」と明記されています。
傷口を清潔にするために最も大切なのは、消毒薬の種類ではなく、**十分な量の水で汚れを物理的に洗い流すこと**なのです。
## ガーゼは「止血」だけに使う
傷にガーゼを当てて、毎日交換する──これも従来の常識でした。しかし、ガーゼを長時間当てたままにすると、実は傷の治りを妨げてしまうことがわかっています。
ガーゼを使い続けると、次のような問題が起こります。
**傷口が乾燥してしまう**
乾燥するとかさぶた(痂皮)ができて、新しい細胞の移動を邪魔してしまいます。
**新しい組織を傷つけてしまう**
ガーゼを交換するたび、せっかくできた新しい組織をはがしてしまい、また傷ができてしまいます。
**治癒を助ける成分が失われる**
傷から出る液体(浸出液)には、傷を治す成長因子が含まれていますが、ガーゼがこれを吸い取ってしまいます。
**痛みが強く、傷跡が残りやすい**
乾燥した環境では痛みが強くなり、きれいに治りにくくなります。
歯科では、止血のために短時間だけガーゼを使い、その後は外してお口の中の自然な環境(唾液による湿潤環境)に任せることが重要です。
## 湿潤療法とは何か
傷から出る液体(浸出液)には、PDGF、EGF、bFGF、TGF-βといった成長因子が豊富に含まれています。これらは傷を早く治すための「薬」のようなもので、湿った環境でこそ最大限に働きます。
市販されている「キズパワーパッド」などのハイドロコロイドドレッシング材は、この原理を利用したものです。傷を湿潤環境に保ち、細菌感染を防ぎながら、痛みも少なく、きれいに早く治すことができます。
実は、**お口の中は唾液によって常に湿った状態**にあります。つまり、自然に湿潤療法が行われている理想的な環境なのです。抜歯後や外科処置後に、無理に乾燥させる必要はありません。
## 縫合のタイミングについて
以前は、けがをしてから6〜8時間以内(顔面は24時間以内)を「ゴールデンタイム」と呼び、この時間内に縫合しなければならないとされていました。
しかし現在では、**傷が清潔であれば、12時間以降や翌日でも問題ない**という考え方に変わってきています。
時間よりも大切なのは、**十分な洗浄と、壊死した組織や異物の除去(デブリードマン)**です。急いで縫合するよりも、丁寧に処置することの方が重要なのです。
## 日常診療で気をつけること
これらの知見を踏まえて、わかな歯科では次のような対応を心がけています。
- 消毒薬の使用は最小限にとどめ、水道水や生理食塩水でしっかり洗浄します
- 止血のためにガーゼを使った場合は、必ず短時間で外します
- 傷は乾かさず、湿潤環境を保ちます(お口の中の唾液を活かします)
- 術後は「水道水で軽くうがい」を推奨し、「強い消毒液や過度の乾燥は避ける」よう患者さんにお伝えしています
- 縫合手術では、タイミングより処置の質を重視しています
## まとめ
今回の学会を通じて、歯科診療においても「洗浄して湿潤環境を保つ」ことが科学的に最も正しい創傷管理法であると改めて認識しました。
「消毒とガーゼ」という従来の方法は、実は傷の治りを遅らせていたのです。患者さんご自身が持つ治癒力を最大限に活かすためにも、エビデンス(科学的根拠)に基づいた創傷管理を実践していきたいと思います。
抜歯後や外科処置後のケアについて、ご不明な点がございましたら、どうぞお気軽にお尋ねください。
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**参考文献**
1. 日本創傷外科学会. 急性創傷診療ガイドライン2013. 2013.
<https://www.jswcs.org/>
1. Fernandez R, Griffiths R. Water for wound cleansing. Cochrane Database Syst Rev. 2012;2:CD003861.
(系統的レビューにより、水道水による洗浄が感染率を増加させないことが示されています)
1. Winter GD. Formation of the scab and the rate of epithelization of superficial wounds in the skin of the young domestic pig. Nature. 1962;193:293-294.
(湿潤環境下での創傷治癒の促進を初めて科学的に示した古典的研究です)
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