「勝つ」だけが希望じゃない──六大学野球に見る、“未完”という生き方
# 「勝つ」だけが希望じゃない
──六大学野球に見る、“未完”という生き方
2025年秋季東京六大学野球リーグ戦・9月21日明治×東大2回戦観戦記より
こんにちは、私は野球場の雰囲気が大好きです。普段の私の野球観戦スタイルは、公園や河川敷の芝生にシートを敷いて、缶ビール片手にのんびりと野球を眺めることです。秋の爽やかな空気に包まれながら、芝生の香りとビールの爽快感を味わいつつ観る野球は格別なんです。
ただし、この日の神宮球場では当然そんなわけにはいきません。内野席のチケットを手に入れて、9月21日に行われた東京六大学野球・明治大学対東京大学の2回戦を観戦してきました。普段の芝生観戦とは違い、選手たちの表情や細かな動きまでしっかりと見えるのが内野席の醍醐味。特に東大の選手たちが、どんな劣勢な場面でもボールに食らいつく姿勢を間近で見ることができました。
結果はご存じの方も多いかもしれません。明治がドラフト候補の小島大河選手を中心に盤石の試合運びで、東大に10-0の快勝。スコアだけ見れば「一方的」な試合でした。
でも、内野席から東大の選手たちの表情を見つめていた私には、この日の東大の姿にこそ、未来への希望を感じることができたんです。勝敗を超えた何かが、確かにそこにありました。
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## ■「未完」を誇りにする東大野球部
試合中の話ではありませんが、東大野球部にはある”伝説”があります。
それは、彼らが暮らす合宿寮「一誠寮」に掲げられた看板の話。
この寮の看板には「誠」という一文字が書かれているのですが、実はこの「成」の最後の一画が、百年以上もの間”書き加えられていない”のです。
なぜか?
曰く、「リーグ優勝したら入れる」と、ずっと決めているからだそうです。
たしかに東大は、六大学で最も苦戦を強いられているチームかもしれません。けれど、その「未完の一画」は彼らにとって、敗北の象徴ではなく、「諦めずに挑み続けること」を象徴する希望のシンボルになっているのです。
内野席から見える選手たちの真剣な眼差しを見つめながら、この話を思い出していると、目の前で懸命にプレーする東大の選手たちの姿と重なって見えました。
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## ■試合は完敗、それでも拍手が起きる理由
この日、明治の小島選手はプロ注目の貫禄で試合を支配しました。
東大の投手は序盤から制球に苦しみ、3回終了時点で3-0。明治ペースの展開が続きました。
それでも、球場の空気はどこか温かい。内野席という至近距離から見ていると、東大の選手たちが決して諦めていないことがよくわかります。ファウルボールに必死に食らいつく外野手、バントの構えから急にスイングに切り替える打者、そして何より、大差がついてもマウンドで全力投球を続ける投手たち。
特に印象的だったのは9回の攻撃でした。大量失点で迎えた最終回、東大の打者たちが何人も芯を食った打球を放ったのです。結果的にはアウトになりましたが、その快音が神宮球場に響くたび、観客席から大きな拍手が起きました。内野席の私の周りでも、「ナイスバッティング!」という声援が飛んでいます。
「一矢報いた」と言える得点はありませんでしたが、東大の選手たちは最後の最後まで諦めませんでした。むしろその姿勢が、勝敗を超えた”人間らしい尊さ”を伝えていたように思います。
九回まで手を抜かずに投げ続ける投手、最後のバッターまで必死にバットを振る打者。内野席から見える彼らの汗と土にまみれた表情に、私は心を動かされずにはいられませんでした。
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## ■食らいつく姿勢に見る、本当の強さ
内野席だからこそ見えたのが、東大の選手たちの「食らいつく姿勢」でした。
たとえば、大きく外れた投球でも捕手は必死に追いかける。フライボールには複数の野手が声を掛け合いながら懸命に走る。打席では、追い込まれても粘り強くファウルで逃げ続ける。
こうした細かなプレー一つひとつに、「絶対に諦めない」という意志が込められているのです。技術的には明治の選手たちに及ばないかもしれませんが、この「食らいつく精神」こそが東大野球部の真の財産なのだと感じました。
特に印象的だったのは、大量失点の後でも東大の内野陣が声を掛け合い続けていたこと。そして最終回、芯を食った打球を何本も放った東大打線の意地。内野席から聞こえるその声や打撃音には、諦めの色は一切ありませんでした。
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## ■”未完”のままで、輝くチームがある
内野席のベンチ裏で観戦していると、選手たちの息遣いまで感じられます。ふとこんなことを考えていました。
> 「完成された強さ」だけが、見る人を感動させるのではない。
> 「未完成のまま、挑み続ける姿」こそが、人の心を動かすのではないか。
東大の選手たちは、技術的にはまだ発展途上かもしれません。戦術も、他の強豪校に比べれば洗練されていないでしょう。でもだからこそ、彼らの一つひとつのプレーに「純粋な努力」が滲み出ているのです。
完璧でないから美しい。未完成だから、観る人に勇気を与える。
東大野球部は、そんなチームだと思います。
普段は芝生でビールを飲みながらゆったり観戦する私も、この日は内野席で前のめりになって応援していました。
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## ■おわりに
──あなたの”未完”にも、価値がある
人生もまた、どこまでいっても”未完成”の連続です。
でも、完成しないからこそ、人は努力し続けられるし、誰かの挑戦に心を打たれるのかもしれません。
東大野球部の「誠」に最後の一画が入る日は、いつか来るのかもしれません。
でも私は、今この”未完”のまま挑み続ける彼らの姿が、何より美しいと感じます。
結果だけで語れない価値がある。完成しなくても、意味はある。
東大野球部は、そんな大切なことを私たちに教えてくれているのです。
もしあなたの中にも、「まだ完成していない自分」があるのなら。
どうかその”未完”を、恥じずに、むしろ誇りにしてほしい。
きっとそれが、誰かにとっての希望になりますから。
9月21日の神宮で過ごした、心温まる午後。内野席から見た東大の選手たちの食らいつく姿勢と真摯な表情が、私の心に深く刻まれました。普段の芝生観戦とは違う、濃密な時間を過ごすことができました。
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**神宮球場の内野席で、また会いましょう。**
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## 参考情報
- 東京六大学野球連盟公式サイト
- 東京大学運動会硬式野球部関連資料
- 明治神宮野球場での現地観戦による実況記録
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