わかな歯科

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何が正常?本来の姿とは?

 歯医者の多くは、歯並びの整った現代人の顎顔面を正常とみなして、本来の姿と考えています。しかし、人類の進化研究者の人たちは、現代日本人の顎顔面はホモ・サピエンス本来の姿から変質し正常とは言えない形態をしているそうです。

 本来の正常な顎顔面を持っていたのは誰なのか?いつから変わったのか?を知るために、東京大学総合研究所博物館で特別展示『骨が語る人の生と死』を見に行きました。

 【縄文人の特徴】

一般的に縄文人の歯は世界諸集団に比べて小さいそうですが、それは、元々、南方で暮らしていたときに、採集狩猟生活者としては比較的柔らかい食べ物を食べていたからだと言われています。

 歯冠は上下顎共に咬合面が平らに激しくすり減っています。高い咬合力と食いちぎり動作によって歯の磨耗が進み、前歯の歯軸が咬合面に直角に生えています。

                     下顎体は、前から後ろまで高さがあまり変わらず、下顎枝が幅広くなっています。下顎角はほぼ直角で、咬筋粗面は下顎体の半分ほどまで拡大し、咬筋の発達が著しくかったことがわかります。歯槽骨は厚く、側頭筋と咬筋の強大な咬合圧に耐えて歯を支えています。歯列は広い放物線形で乱れもなく、口の中の容積は十分に保たれています。おそらく、食いちぎった食物塊を十分に噛み砕き舌圧を高めて飲み込んだであろうことが推測されます。咀嚼、嚥下機能とも健全だったと考えられます。

【弥生時代以降急速に咀嚼器官弱体化】

 弥生時代には農耕が始まり、米を含めた柔らかい食物を食べたために、咬合面の磨耗が減少し、噛み合わせは鋏状になりました。しかし、弥生人の顎顔面構造は頑丈で、歯並びもよく、咀嚼・嚥下機能は縄文人同様に健全だったはずでした。

 ところが、古墳時代以降調理技術が進むと、咀嚼筋が退化し顎顔面構造が華奢になり、顔の幅が減少していきました。歯槽骨が発達せず、切歯の傾斜が強くなり(反っ歯)、歯列は広い放線状から(逆)V字型に近づき、さらに乱れていきました。下顎骨では、下顎体の後方が低くなり、下顎角の角度は大きくなりました。特に江戸時代では、将軍・正室など上流階級の間で、極端な軟食とおそらく美的選択の影響で顔が細長く華奢になりました。

【変化した歯並び】

 縄文人の歯並びは、現代人から見ると異様です。歯の磨耗(咬耗)が著しく上下の切歯の先端同士がかみ合っている(切端咬合)が、実は先史時代においては、世界のどこでもこれが人類にとって普通の姿だったようです。さらに歯並びが美しい(大きな乱れがない)ことも特徴に一つですが、これはよく噛む食生活のために縄文人の顎骨は発育良好であったことと激しい咬耗が関係してそのようになってると思われます。

 このような口腔環境は、歴史、時代によって大きく変わりました。鎌倉時代では、歯並びは悪くないが、(反っ歯)が増えました。前歯の咬耗が減ったことが主因でそうなったと思われますが、この時期には箸が普及していたことが一因となり、前歯をあまり使わない食生活が一般化したのだろうと推測できます。

 さらに、現代のように歯並びの乱れが目立つようになったのは江戸時代からです。江戸時代には、前歯も奥歯も咬耗量が減る傾向があり、磨耗性の低い柔らかい食物が一般化していました。同時に顎骨が小型化し、とくに貴族や武家の間では『小顔化』が進行したことがわかっており、よく噛まない食生活のせいで顔面骨がいわば『発育不良』を生じていた。つまり、歯のサイズは変わらないまま、顎骨が成長せず、歯の磨耗が減ったために、歯が歯槽骨に並びきらなくなったのではないでしょうか?

 地域、気候環境、時代、貧富、身分などによる食生活有り様及びそれによって影響される顎顔面構造の違いや意外な類似を理解することは、現代日本人の食生活と顎顔面構造を改善する参考になるのではないでしょうか?

東京大学総合研究博物館

特別展示 『骨が語る人の生と死』日本列島1万年の記録より

https://youtube.com/playlist?list=PLsE3TzaR2ftdXK1KDQdcLE77wfpCWIaKm&si=M-jELbJ5MuCDLhRI

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